魔装学園H×H (角川スニーカー文庫)

魔装学園H×H (角川スニーカー文庫)

ネトゲ嫁に続いて、Hisasi原作イラストラノベアニメを気に入ってしまいました。
セカイ系設定の、進撃の巨人ミーツIS(この見立てすら成立するか怪しい)を、中学生高校生向けのスケベアニメ、むしろ中高生でさえ、中高生であるがゆえに恥ずかしくなるようなライトノベル原作を真面目に見ることについての文章。3話なんてキャラが「世界は残酷」とかモノローグはじめてもおかしくないオーラで悪趣味悲劇のマイルドな開示がなされていて笑ってしまう。 何が笑うって、その残酷設定を設定のままに本気で受け取ろうとする気持ちが自分の中でほぼゼロっていうw つまり、このアニメに失笑を浮かべることは、いわば、最近のラノベにおけるリアリストを気取っているともいえるわけなんだけども。なんだけども、まさにそのことにおいて気持ちよくなってしまったというご報告をしておきたいと思います。なぜそんなどうでもいいことを報告するの? というのは、ちゃんと理由がある。3話でキャラクターたちの設定と自意識がシンクロをはじめて、若干ハードボイルドふうに恋愛小説ぽくなったというか。主人公の芝居が、モロに神谷浩史に寄せてあったので、そのせいで、アレ? って。それに引っ張られ、ヒロインたちのある種のまともさにおいても物語シリーズの出来損ないのようだ。
極限状況においての恋愛と戦争っていう魔装学園H×Hがそれをやっているはずなのにむしろ正反対の都合のいいセックスと暴力の垂れ流しにしか見えないはずなのに、それがアニメになったことで、その設定の構造のエッセンスだけがフィルムに漂ってしまったということではないかと思っています。

ヒロインたちの性格描写も、先週までとあんまり繋がってなくて、金髪はちょっと牽制球でアプローチしてくるかわいらしいことになっていてなんかおかしいぞって思ったんですよ。本当に魔装学園H×Hなのかこれは? っていう。だって、普通にただデートしただけなんだよ? ほかのヒロインが尾行してるとかじゃないんだよ? ありえなくない?
そしてデートの帰りにまた都合よく見かけた、風紀委員の黒髪ロングも、暴力キャラじゃなくて、つまずいてこけたのを支えられて、異性と密着したので顔を赤らめて緊張してしまうというかわいいリアリズムがあって、悔しかったよね。私の今期の推しアニメであるところのリライトでさえ! リライトでさえ! 暴力ギャグをやってしまうんだぞ! 2016年に! それが! 魔装学園H×Hに!

そして、きわめつけは、アイデンティティを揺らがせ自暴自棄な思春期少女が処女を捨てたいと言ってくるのをそれに乗るフリしてペッティングをかましてここで一言「お前、ふるえてんじゃねーか」です。(シーンの解釈に改竄があります

みなさん、分かりますか、このライン。このオッサンハードボイルド美学のホットラインが。おそらくは、原作においても、主人公と出会って、恋愛に目覚める美少女というファンタジーがへたくそにぶっきらぼうにイミテーションの中で展開されているだけなんだろうけども。私はこの、世界の終わりの設定の中でハードボイルドワンダーランドな振る舞いをすることの気持ちよさを見出してしまったわけですよ。

主人公の造形が薄味なのが難点だけど、作品の設定としては露骨な性欲をテクストに組み込んでいるのに、バトルに関係ない日常描写ではまともにふるまうことである種の生々しさがあるヒロインたちw 2話みたいに、主人公の部屋の中で変身して部屋が爆発、みたいなのとは違う雰囲気があった。

求めてるものに対しての、だいたい15点くらいの出来なんだけど、この15点性においては、なぜ、ライトノベルたちは極限状況においての恋愛と戦争のセカイをこういった魔装学園H×Hのような描き方でしか語らなくなったのかという問いと同時に、その可能性をどのようにして失っていったのかを再帰的に確認するようでもあり、、、進撃の巨人ミーツISミーツオッサンラノベという構造がもしかしたらセカイ系の語り口を更新し得たかもしれないなどと感じさせもするのだ。


コンテンツとしては、「間違っても、たとえ気が狂ってもこの作品を褒めないでください」と高らかに宣言しているので、それに従おうと思いますが、ものすごい好きになってしまいそうな可能性があったのかもしれないと、そういう報告でした。



まあ、おおよその、あらかたのライトノベルを優れた批評的視座において救済してしまうというのは私の得意とするところではありますが、まさか魔装学園H×Hまで? と。(ちっ、と舌打ち