Kは主役の白と黒がキモいけどおもしろい。異能ラノベに対するそれただの暴走族の抗争じゃね的ツッコミからこういう飛躍があるとはね。暴走族の抗争劇をオタクの自意識でアップデートしたアクセルワールド的な激安のサバンナの内面化やセックスと暴力への希求をホモソーシャルな群像劇へと脱構築。色分けされ戯画化されたそれぞれの共同体の中で起こる信頼と裏切り、王とその臣下たち、王位の継承と簒奪など、コテコテ要素に負けないハッタリ画面も維持されていて好印象。総理大臣を超絶権力でギャグっぽい雰囲気で処理しているところから考えるとハードボイルドの超人願望やテクノクラートイズムには流される心配はないと思うけど(1クールみたいだし)、どういうやりかたで物語を拡大させるのかも含めて楽しめそうです。でも白と黒がBLなら赤と青は異性愛でもよかったけどなあ。青の新撰組の子たちが全員美少女とかでも成立したと思うのです。てかそのほうが売れそうじゃない? 男と女に分かれてカラーギャングが因縁バトルとか。むしろ商品としちゃ戦国バサラにするべきだったのかもね。
あと物足りないところは、サバンナの激安のセックスの脱構築のためにBLを明確に意識していることもあり、最低限描いていて欲しい少年性がスポイルされているのん。白と黒がもっとこじらせてるようなキャラだとよかったんだけどね。サブキャラたちのほうがかっこいいドラマ性を与えられているのはライドオンを阻む。BLやるにしてももっとヒリついた焦燥感が欲しいですね。Kはそのあたりの自意識が希薄である。「僕の無実を証明するから僕とずっと一緒にいてよ」というのはこれは何か違うんだよね。BLとしちゃあアリだけどオトコノコってそうじゃないんだよ。テンペストといいこれといい異能みたいなオタクセンスを維持したまま美形男子たちにどうやって文学的な闘争を実行させるかというのは難しいようだ。
これ系のコンテンツはなんで戦っているのかわけわからないだの意味不明だのとさんざん馬鹿にされてもそれでもオトコノコは戦わなければならないのかっていうと近代社会にとっての規範化された男性像への不信の表明なので意味不明でも戦わなければならないという。規範への拒否反応として何らかの闘争が必要になるのであるっていう。普段はスカしてハードボイルド気取ってても心の中では炸裂するエモーションを抱えているのが物語として萌えるオトコノコなわけで。まあ完成された近代社会においてはそういう青臭いエモーションを殺菌消毒される過程があってそれが終わるとオッサンが個別にヒロイズムを充足させる仕様になっていて、都市生活者が徒党を組むのは幼稚っていう規範が支配的である。そういった現代の規範に無自覚によりかかっている場合が大半ですが、そういう意味では少年漫画の射程は魅力ではあるのかもしれないのう、とマギとか見て思った。
たとえばSAOのキリトもマギのアラジンは両者とも超人でありますが都市生活者のハードボイルドヒロイズムと少年漫画のヒロイズムはやはり別物であり、近代の男性像とは何を獲得することで超人になるのかっていう。マギは創世の運命を導くという初っ端からでかい風呂敷広げているけど基本的には道徳の教科書を活劇とともに実践する構造で分かりやすい。でも川原は都市生活者のだらしない欲望をヒロイズムと結託させて、しかも道徳の教科書でもないし高潔ななわけでもない作劇の中で実践しようとする。しかしきゃりー声のちびっ子が梶君声のヒーローととまっちゃん声のヒロインを導く役目ってけっこう変則的だ。創世とか言いつついきなりまおゆうみたいなことを始めないかビビってるんだけどw
さておき、近代という時代はヒロイズムをスポイルすることで完成に近づくのかもしれません。忘却の旋律の最終話で「世界を貫く矢のように」と言ったのは榎戸洋司でしたが、あるいはピングドラムでもスタドラでも少年性のヒロイズムを物語ろうとすると一種の説話の中に納まるような印象を抱かせて、何よりもまず人間は生きていかなければならないとするならば、だらしない都市の欲望を相手にだらしなくヒロイズムを発散するハードボイルドが慰めとして機能するのも納得しなければならないのかもしれない。異能ラノベのツッコミでこの世界には警察いないの? みたいなものがあるけど川原・佐島のオッサンラノベではそこらの異能ラノベと違って政府や警察や軍隊が存在しているのだけれど彼らオッサンラノベの場合はどちらかというと超人である自分を誇示するためにある程度機能しているとされる近代社会の諸要素が求められ、政府や軍隊にも一目置かれる系のヒロイズムの発散があって、でも都市生活者の欲望は手放さないだらしなさがある。ヒーローがヒロインのために戦うという行為そのものには大して違いはないけど世界を貫く系ヒロイズムと都市生活のヒロイズムでは受ける印象が違う。
近代は世界を貫く系ヒロイズムのスポイルに成功していて、それを拒否しようとすると激安であることを強いられるようになっているけど(逆に都市生活者と社会はある意味で結託している)、そういうことを強いる何者かと戦わなくちゃならないのかもね。
なんかVSイマジネーターみたいになってしまいましたがw なんかこう、世界を貫く系の不毛さを幼稚に感じさせるものとVSイマジネーターできるのが少年性だと、そういう話がしたかったん。