東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン・補遺』評論は門外漢もいいとこなのですが、正直これイラン。なんか勢力争いっていうか、自分の論の正しさを押し付けがましく語るっていうか、どっかの誰かがグーを出すなら俺はパーを出すっていうか、ファウストで語るのに桜坂洋かよっていうか。「俺の論は正しい、桜坂の小説がそれを証明している」という感じ。


福嶋亮大の『小説の環境』こっちの方がはるかに評論らしいです。西尾維新が取り上げられてるわけですが、理性が克ちすぎてて読んでて困りました。別に死ぬほど明晰ってわけでもないけど。博識だとは思うんですが、そのせいか色んな方向性を示唆しすぎです。あと行間がなさすぎます。もっと深入りさせて欲しい。俺は評論に何を求めているのか、謎。


SIDE―Bの画像も来てましたね

ファウスト vol.6 SIDE―B (講談社 Mook)

ファウスト vol.6 SIDE―B (講談社 Mook)

しかし、2年ぶりにファウストなる空気に触れてみたが、それほど有意義じゃなかった気がするな。でもまあ、体験としての読書、という意味では数千、数万のそれが起こっているのだろうし、アリといえばアリ。こんな奇妙な読まれ方されてるのは意味があるのだと思いたい。


終着の浜辺 (創元SF文庫)

終着の浜辺 (創元SF文庫)

正直ファウストとかいらないんですよ。リアルフィクションも。バラードさえいればいい。というのは嘘大げさ紛らわしい。でもやっぱたまりません。もうね、エヴァで頭悪くなってよかった。バラードがこんなにカッコよく読めてしまう。全てが終わってるセカイで終焉を突き詰めること。