文学オタクとオタクとおんたこ

幻想文学でいいのかしらん。泉鏡花賞を同じ年に二つの作品で受賞した、その片割れ。連作短編的なエッセイっぽい語り方。あんま小説っぽくない。文章萌えなオイラは華麗なレトリックだけで満足してしまいそうなんだけどね。サナトリウム文学っていうかキチ○イになった親友の回想から色んな意匠を美学的に論じていく、そんな感じ。津原泰水のご先祖っぽくもある、たぶん。


群像2006年1月号 笙野頼子『だいにっほん、おんたこめいわく史』
つまんねえ。文学的というか文壇的には意味のある小説かもしれんが。タイトルだけで「ああ、また笙野頼子が怒ってるんだろうな」と分かってしまう。萎える。怒る権利ももちろんあるんだろうけど、ただルサンチマンをブチかましてるだけ。宗教的、神話的に語ることが欺瞞に思えるわ。ある程度の聡明さゆえにそれが果てしなく稚拙にみえる。最大の疑問は「オタク」に対する語りなんだけど、自分が苛立っている状況を作り上げた男性原理的なものに対する怒りは分かるけど、笙野頼子が「オタク」に対してなぜこんな悪意を抱いているのかが分からない。オタクが女に、というか美少女(二次元でもリアルでも)に対して行っているであろう無自覚な陵辱というものがあるとしても、正直「お前がそれに対して怒るのか」と。分かりやすく言うとなんでアンタみたいなブサイコ中年がそれにヒス起こすのかという疑問。笙野頼子の存在している領域とオタクのそれは重ならないはず。最悪の仮定は笙野頼子がオタクを民放のオタク特集みたいに「みんなで気持ち悪くなろうぜ」的なものとして捉えて、それを男性原理とつなげることであてつけとして書いてるかもしれないってことなんだけど、さすがにそこまでアホじゃないと思いたい。まあ、笙野頼子にとってはオタクってちょうどいい主題になるんでしょうね。状況を打破しようとする意志もまるで感じられず、ひたすら揶揄と皮肉が連打されるだけ。「おんたこ」=男共はこれであれでこんなにアホなんですよー。 で、それが何なのかと。2ちゃん用語も使う意味ないし、ひたすら下品なバカメタ純文学。ここ数年はウラミズモ建国して色々ほざいてるけどアレって近年の百合アニメブーム以降から百合声優のカップリング妄想で楽しんでるオタク(俺含む)とたいして変わらんよな。原理的にはw ガチンコで勝負して男共をひれ伏させて下さいよ。でも笙野頼子の中では男共は絶対にひれ伏さないという被害妄想があるんだよな、原理的にw


ラノベから遠く離れて」を宣言したにも関わらず読んじゃった。あざの耕平はガジェットだけがライトノベルっぽいから大丈夫だろうという勝手な思い込みで。良くも悪くも古き良きという感じで安心して読めるのですがDクラの後半の時のような煌きがあんま感じられず。たぶんそれは千絵スケが不在だからで、ミミコはもう恋に落ちちゃったからもう千絵にはなれないし作者の意図は違うところに向いてるっぽいのでそこは致し方ない。普通のライトノベルが普通におもしろいというサンプル。Dクラにはまだ届かんが。


ついに漫画にまでファウストの魔の手が伸びるということで楽しみですよ。そういや創刊号の最後に載ってた漫画もキモかったなと。