楽園における新しい義務

ぱにぽにだっしゅ!はまさに楽園だった。しかしその歓喜の宴は半年で終わらざるを得なかった。なぜだ。オタが楽園性に搾取される当然の帰結。資本の流動性から強制的に閉ざされる楽園。いや、そんなことはどうでもいい。2クールの最終話でぱにぽにだっしゅ!は何を示したか。楽園でひたすら戯れるキャラクター、やや遠慮がちに口にされる変化や終焉の示唆。極めて倫理的な最終話である。たぶん、優しすぎるほどに。物語性の骨格が解体され、お話ですらない状況でキャラクターの個性だけを輝かせる。おそらく楽園においてすらそこの住人は輝かなくてはならないのであり、それは楽園を批判する良識派の倫理をのみ込みすらするだろう。何もない楽園で輝くこと、フィクションにおいてそれを渇望するオタ、誤解してはならない、フィクション「も」この世界「も」楽園になるに値する。それを証明し、楽園を発見し、さらに継承すること。これは我々の新しい義務である。たとえ我々が楽園の住人ではないとしても、だ。しかし、その反復の身振りにおいて一瞬でも我々が輝けるとしたら?


犬神が都と唐突にイチャついてたのでビックリしたのは内緒だ。ビックリしたのは犬神×南条萌えだったからでは決してない。神谷浩史の声ってスケコマシっぽいなと思っただけ。具体的に言うと、女の子に「この人、もしかして私のこと意識してる?」と思わせる声。