オイラへ、「野阿梓って今読むべきか?」

バベルの薫り

バベルの薫り

バベルの薫りをリアルフィクションとして読む。要するにキャラ萌えで読む。ハヤカワが本来リアフィに取り入れるべきだったのはキャラ萌えだったはず。90年代後半からSF作家がSF作家として世に出るということがなくなった時点でハヤカワはやる気をだすことも、ちゃんとやることもできなくなったのは誰にでも分かることです。SF板のハヤカワ叩きのショボさは、まあ、なんだ、うん。つまり上遠野古橋のラノベとハヤカワのリアルフィクションでは前者が優位に立つのは必然であり、断絶は決定的なものであると。階級としての話。そして、もしかしたら現在進行形で上遠野古橋とW桜の相克がある。地続きで、でも亀裂が走っていると。秋山もか。媒体の語られ方では微妙だけど。
野阿梓の話じゃなかったのか、俺。リアルタイムの語りは若い衆、高ⅠQな衆に任した。ドキュソはドキュソらしく隅のほうでシコシコ考える。改めて読んでみると異常なキャラ立ち具合にビビったわ。妄想キャスティングしちゃうぞ。ごめん、うそ。初めて読んだときはあまりの快楽主義っぷりに狂喜しながら読んだんだが、これってもっと逝けた話だよな。つまり超傑作になれたのに傑作な小説。俺程度でもそう思えるという時点で大傑作なんだろうけど。天皇周辺以外の部分でさ。世界観よりは思弁性の方が継承しやすいはずで、でもこれ以上は何をどう描けば良いのか分からない。美男美女超能力そしてエロスという過剰さが気持ち良いけどこういう方向性は袋小路っぽいやん?近代をSFの手つきで異化、昇華させる、みたいなの。これ以降の15年間見てみても。よりオタっぽいセンスで接近したのが池上永一とかになんのかな。シャングリラもそういや天皇か。とりあえず絢爛豪華なセクロス描写だけでも楽しんでみよう。
飛浩隆はグランヴァカンスで「デビュー」したことにしている世代の話とかしたかったはずなのに。(世代というより俺だけ)マルドゥックスクランブルとグランヴァカンスの間にあるもの。