21世紀の想像力(evatakaのひとりゼロアカ)

いずみの氏&かいえん氏が宇野氏を叩いていると聞いて飛んできました。ゼロ年代の想像力って元々突っ込みどころ満載だし、そこを突いたって感じのようですな。おもしろいけど。トリッパー読んだけど宇野さんは「世直し」が目的らしいのでこれからも煽り以外は自分よりヘボいヤツだけ相手にしてウザがられるサル山の大将の生き方講座を続けてくれるでしょう。いずみの&かいえんが注視した契約、再契約というながれでいくと正直これも後だしジャンケンくさい。契約の欲望満たしたからどうだっつーんだよと。「結局王道だよねー」に至るのにこんな面倒くさい回路を作る必要は無い。これは批評家のフェティッシュというものか。なんでも人生本にしたがるロスジェネ病はそろそろぶっ殺したほうがいいと思う。食いモンにされるだけだぜ。セーフティネットはあったほうがいいですよって見下されてるw。現代的な得た否認w。←ダブルミーニングだ。ダダ甘設定にしがみつく俺らw。
エヴァバトロワ龍騎→Fate→デスノート→ギアス→ストパンという流れがある。まあ待て、つっこっむのはまだ早い。なにしろストパンは英霊たちがモデルなんだからな。20世紀という虐殺の世紀を彩った英霊だよ、みんな大好きな戦争のな。つまり20世紀の虐殺、アウシュヴィッツヒロシマナガサキマンシュウドレスデン人類補完計画という夥しい死の群れからの開放が21世紀の急務となる。現実とアニメの境目などもはや存在しない。まずは「儀式性」の回復である。バトルロワイアルという限定的で古典的な戦場を作り出し、そこに大文字の「騎士」を生贄として呼びつける。撃墜王?生贄としてのジョーカー?そして「死」のデフォルメ。目の前に具体的に存在するノートや命令において開示されるワンクリックの「死」。十年をかけて、ここに21世紀のアポカリプスが準備される。
それはだれのために準備されるのだろう。おそらくだれのためでもない。勘違いしてはならないがこの捏造されたアポカリプスは20世紀的なアポカリプスのワクチンなどではない。理不尽な現実に対するルサンチマンでもない。アポカリプスの傍らで輝ける日常を確認するためでもない。ただそのアポカリプスの消費のなかで、貴方の生や貴方の死や貴方の性がばら撒かれるだけである。世界を終わらせるためのプロセスを消費するあなたがいるだけである。あなたはその失望と熱狂を卑小な壮大さにおいて確認するだろう。実際21世紀は世界が終わることがどうでもいいことになった初めての世紀になるに違いない。
つまりは21世紀の想像力とはこのような「戯言」が真的意味を持ち始める時代であり、さらに言えばこのネットにあふれる数多の文章すら捏造されたアポカリプスのための捏造された遺書になるだろう。限りなく切迫した、しかし限りなくどうでもいいこの遺書。中二病だと人は笑うだろうか。野蛮な世紀だったと未来の誰かは笑うだろうか。

という電波を受けとったので久々に更新します。「ああ、この螺旋の電波が矛盾していたらいいのに。」次回は電波福音をテーマにします。