21世紀の想像力(今日は特にキモいんで注意。)

はてなの注目エントリに夫に私の初体験を話しました。ってあるじゃないですか。新婚さんの嫁×旦那の上司でギシアンして3年ほど関係してましたってやつ。旦那と嫁が知り合う前の話で年齢は18と50というけっこうスペクタクルな感じの。上司が佐藤浩市真田広之クラスの超ハイスペックでないかぎり50の初老に18処女捧げる嫁も頭弱いと思うけどまあそれは関係ない。サイゾー立ち読みしたから連想したけどこれって渡辺淳一ワールドだよね。雑誌名忘れたけどいつも着物着た女優が表紙の中年レイプファンタジーの。上司は手篭めにしたときは人生最良の瞬間だったろうな、俺で例えると声優で童貞捨てたくらいの勢いで。今期は女の子と同棲し始めるアニメが多くてネタになってるけど、まさに上司は主人公だったわけだ、契約と再契約なわけだ、会社に社会的な存在として18の処女が現れたわけだ、ギフト(贈り物)なわけだ。ベッドの上で非日常の扉と一緒にもうひとつの穴も開けたわけだ。俺は上司に拍手だね、「おめでとう」と言ってやりたいね。だが旦那が救われないということがこのセカイの恐ろしいところだ。レイプファンタジーディストピアに放り込まれた旦那に「嫁ともう一回友達から始めればいいじゃん」なんて言えない。なんという生きた貨幣。この夫婦だけではない、俺たちは認めなければならない、恋愛、資本主義、流動性などというスカした言葉ではなく現存在として、自分達は貨幣なのだと。彼の彼女の美しい顔と身体と笑顔と肌のぬくもりと、職業と年収以下ry。全ては貨幣だ。
ま冗談はこのくらいで、これはちょっと例が極端だけど「俺より前に」問題は男性にとって避けがたいよね。どんな言葉もこいつの前にひれ伏してきた。むしろ「男」がそれに引き裂かれてきた。そしてやっかいなことにレイプファンタジーと結託した母性のディストピアはフィクションの中の恣意性にしか存在せず「女」はまさに貨幣として振舞う、かのように思える。貨幣のやり取りで人間は成熟などしない、かのように思える。まるで貨幣が貨幣に祈っている、かのように思える。だが香辛料など持っていない。かのように思えるという最後の糸だけがぶらさがっている。そしてそんな糸があるかのように誰もが振舞う。
最初は「浮気不倫ゆきずりの相手とのセックルが恋人旦那よりはるかに気持ちよかった」というエピソードが好きなので俺はレイプファンタジーを超克している(お互いの欲望は所有しない)というアピールをするはずだったのだが、よく考えれば寝取られて「うっわやべー、こいつってこんなにエロかったんだ」と一時的な断絶によって相手がさらに生々しく感じられるというフェティッシュ通過儀礼でもある。さらにいえば自分以外の男が欲情しているという事実が重要で、もう一歩踏み込めば寝取り相手がキモメンだと、「うっわあいつキモメン相手によがってるよ、どんだけスケベなんだよ、エロすぎる」となり、相手がイケメンの場合「あのイケメンが必死こいて腰振ってたよ、俺はそんないい女を抱いてたのかよ、やべー、エロすぎる」となる。女の内面もある程度は反転が可能だ。エビデンスはない。互いが愛しあってるカップルなら女性も裏切りの罪悪感と欲情に反応する身体への嫌悪と恋人との愛情に引き裂かれながらのオーガズムはすさまじいだろう。エビデンスはない。だが残念なことに上記のような「私ってなんていやらしい女なのこの人のこと愛しているのに」「キミがどんな女でもかまうもんかボクはキミのことが好きだ」的な感じで元鞘に納まってこのカップルは本当に愛し合っていてさらに試練があり愛情が深まりましためでたしめでたしという話は聞いたことがない。少なくともエロ本やエロサイトの体験談や手記では。現実はもっと悲惨だろうな。エビデンスはないが。恋愛に対するこのような負の超越性が共通認識になることが世界の終わりに向かうための助走の世紀、終わりへのスタートダッシュだ。せいぜい悪あがきの恋愛を満喫しようじゃないか。