Red 1 (アッパーズKC)

Red 1 (アッパーズKC)

『クローズ』はやめにして、今は村枝賢一の『RED』を読んでいます。これはめっちゃおもしろい。キャラの配置や舞台設定も文句なし。戦闘シーンの演出はヒラコーを連想する鮮烈さ(というか似てる)。メインプロットも端正で良い。
虐殺されたインディアン部族の生き残りの青年の復讐を軸にしてアメリカの罪の起源を探る物語の重さもさることながら、叙情的かつヒリついた空気がかっこいいです。文芸的な試みにガンアクションや人間ドラマを盛り込んで破綻がない。普通に傑作じゃないでしょうか。

亡国のアキトも見に行って、こういうのまで買う。まるでギアス厨みたいなことになってます。実際そうなんですが。
アキトの赤根監督は少女漫画的な純文学テイストを表現したいとか3,11についてとかフランス革命がどうとか、そういうことを雑誌のインタビュウで普通にトークするので、反逆のルルーシュで作品から政治性を読み込まれないように頑張った谷口監督とは正反対なんだなあとアニメージュなどを読んで思ったわけですが、この双貌のオズという作品はアキトと平行して企画が進められているためか、アキトと同様に少女漫画テイストで(いまのところ文学的とまではいかないですが)華やかな美形キャラとメカアクションをソツなくこなして漫画力も高く、なかなか読ませる出来に仕上がっておりました。
なんといいますか、昼ドラといいますか、約束された悲劇といいますか、ドラマチックに大仰にという感じです。しかし戦記モノとして普遍的な人間的感情の諸要素の枠内に収まっているので、それを一つのドラマとして受け止めることが出来る。

フルメタル・パニック! アナザー3 (富士見ファンタジア文庫)

フルメタル・パニック! アナザー3 (富士見ファンタジア文庫)

コードギアスと同じくプチガンダムとして、ひとつのサーガを目指すフルメタコンテンツですが、ロボット出てきます戦争とかあります、というのでもこれは微妙に物足りない。メインの子たちはPMCにいるのにやってることが情操教育ドラマだし。フルメタがこの方向性で継続してるというのはある一面でのラノベの敗北宣言ではあるんじゃないか。ギアスに比べると、背負ってるドラマの熱量というかテンションが違っていて、日常ドラマとPMCの対比という地に足のついたものではあるけど、旧作のミスリルアマルガムという荒唐無稽な組織をリアリズムに接続させようとしていたほうがブリリアントだった。いまのところ冒険小説のヒーローの物語というよりは部活モノサークルモノくらいの描かれ方だし、これだと無印フルメタみたいな「サガラ・ソースケ ライジング」的なネタやってもイマイチな気がするし。4巻は激しい展開になるようですが、果たして。
しかし考えてみれば今のラノベ(バズワード)ってオールジャンルで情操教育っぽいプロットで書かれてることが多いんだよな。相手の気持ちをよく考えましょうみたいなさ。思慮深い主人公!(何ヶ月か前のエントリ参照)  まあ欲望を率直にさらけ出すオッサンラノベの巨人たちが保守派の教育ラノベよりも売れているし、喧嘩した小学生の擦れ違いみたいなことをするよりSAOのキリトやアスナの「ぼくたち恋愛しちゃってます」のほうが若い子は読みたいと思うのかもね。
恋愛感情が上手く描けているかはさておき、SAOアニメでも、レアアイテムの松坂ウサギが手に入ったので料理スキルのある女に作らせるとか、デートのための発想がすごいんだよね。高校生のお付き合い描写に手料理ってのがまたオッサンセンスなんだよなw。食後に紅茶を味わいつつ人生についてトークとか。パねえよ。武器屋のオッサンとか護衛のオッサンとかをダシに盛り上がる二人の恋愛。パねえよ。
保守派のオタクが情操教育みたく「魅力的なオッサンを描くべき」みたいなヌルいことを言ったりするけど、ロールモデルがせいぜいガンダムキャラだし、個人的には劣等生とかSAOのテクストからおもしろロールモデルのオッサン的なものを読み取ってワッフルするほうが楽しいのだけど、でもそれは邪道なので、難しいですね。現代的感覚では情操教育を終えたあとにやることが恋愛くらいしかないってのが落としどころでしょうか。まあそういった規範に従ってしまうのが保守なんだけど。アニメだとエウレカAO辺りもオッサンファンジーなところがある。戦争が絡んでくるとオッサンは色々なものを背負わされるので大変だ。現代的感覚においては、責任を持ってやるべきことをきちんと果たす大人というのは切り捨てるにはちょうどいい人材である。護衛の任務を真面目にやろうと頑張れば上位の規範に食い物にされるSAOはリアル。そして、アクセルワールドの簒奪されあうスキルとそれぞれに妄信される正当性。そこにはある種の異様な、またある意味では現代的感覚としては至極当然の規範が現れている。
俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる (GA文庫)

俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる (GA文庫)

規範に弾き飛ばされたがゆえにろくに恋愛を経験してないオタクはメタ恋愛っぽい作劇を消費してしまう。でもメタ恋愛コンテンツってやっぱりおもしろくないんだな。端的に言うと気持ち悪い。といいつつ4巻まで読んだけど。新世代ギャグラノベの一角に数えられる作品といっても特に優位性は感じないなあ。デートアライブとかのほうがおもしろい。
西尾維新、というよりも斉藤千和の偉大さによって書かれることが可能になった作品というのが妥当なラインじゃないか。ある種のライトノベルのテクストの在り方と斉藤千和の声優性は相性がいい。
内容はまあ、そのうち「恋愛感情ときちんと向き合う」みたいなことやりはじめてはがないみたいに「ハーレムラブコメ脱構築や〜」ってなってハシャぎたいと思います。あの戦略もすげえ保守だな。
情操教育を終えた、お互いを一つの成熟した人格、一つの個性を持つ人格として尊重するような、すげえ大袈裟に聞こえますが付き合うってのはそういうもんだし、別に恋愛が絡まなくてもそういうことを出来ていてほしいんだけど、一部のラノベが外野から見てゴミクズ扱いなのは、そこを隠蔽したり誤魔化したりするからでしょう。もしくはひどく幼稚な見せ方でやってしまうとか、本編途中まで誤魔化しながら進めて話しをまとめる時にだけ思慮深くなるとか、メタなエクスキューズを用意したり。さらに、そういう誤魔化しをしていないはずのおもしろロールモデルの主人公達は自分の欲望の達成のために他人を貶めることを覚えている。
あるいは、順位をつけない運動会のようにヒロインたちを争わせる。順位をつけないという規範を定義する権力者であろうとし、同時に争奪戦の果てに与えられる栄光であろうとする。あるいは恋人達はお互いにとって誠実であろうという規範に従いながら、しかし自分達にとって価値のあるものと価値の無いものを区別し、利用し、切り捨てることを覚え始める。あるいは規範を操作し、それをわざと破りながら、誠実であろうとする者たち、規範を守ろうとするものたちの罪悪感に訴えようとする。
まるで具体性の無い繰言ですが、具体的なレビュウが恥ずかしかったり。アラサーがラノベの恋愛描写を真面目に語るなんて恥ずかしいという規範。不自由だね。この規範を定義したのはいったいどんな権力なんだろうか。
斜陽 (新潮文庫)

斜陽 (新潮文庫)

恋と革命のため。ありとあらゆる規範への反逆。なるほどこれは文学。ちなみに双貌のオズの女性用パイロットスーツはもうまったく何の意味も理由も整合性もなくハイレグだったりするんだけど、ただエロくしたいというパッションがロボットアニメというジャンルの規範への反逆精神を感じさせるんだ。キャラクターデザインのエクリチュールでそう思わせるキムタカはパないの。
反逆するか、結託するか、それが問題だ。