サイコパスからただようギルクラのアトモスフィア。そういえばエゴイストのアルバムはギルクラの本編のように全編物悲しい失敗作アニメのアトモスフィアが漂っていてもしギルクラがやるべきことやってちゃんと売れていたらあんな悲しいアルバムじゃなくてヒロイックなポップアルバムになっていたんじゃないかと思っているのですが。いいアルバムなんだけどね。僕の見たかったギルクラを期待してたけどそこにあったのは現実に失敗したアニメとしてのギルクラのアトモスフィアだったんだ。
さておきサイコパス。ギルクラと同じく業界の期待値ほどにはおもしろくなく30点、フィルムにさほどの高級感もない1話。誰のディレクションか分からんけど観客なめすぎ、説明しすぎ、日高のり子銃がいちいちしゃべりすぎ。まどまぎやフェイトゼロ、シャフトやユーフォテーブルのオタク向け画面作りで実績作ってからIGのハードボイルドな画面作りが来て、そことの比較が分かりやすくなったんじゃないでしょうか。リアリズム志向のフィルムのせいでこけおどし設定に神通力が入らなくなってるので。まあフェイトゼロはともかくまどまぎみたいなケミストリーはそうそう起こるもんじゃないっていう当たり前のことを当たり前に感じる作品になりそうな。こういうアニメが好きな奴のことを中二病って言ってたような。
なんか雑誌のインタビュウでキャラクターが全員黒スーツなことが他のアニメにはない売りの一つみたいに言っている偉い人がいて、こいつ大丈夫かって思ったんですよ。所謂オサレと言われるような美学の話で、ブリーチとか、そういうオタクにとってのスーツ観がそこではまったく理解されてなくて、ケミストリーはそうそう起こるもんじゃないなっていう当たり前のことを確認する作品になりそうな。キャラに黒スーツ着させてしまうことを中二病って言ってたような。僕の好物なような。でもそれはこのアニメのスーツ観とは全く別物のような。たとえばそれは異様にダサいセイバーの黒スーツのアトモスフィア。

なんかこう、セイバーにしても魔法少女にしても、作中世界の謎ルールを内面化していないっぽい女を謎ルールで小突き回すのはもういいかなあというのが。この作品ではケーサツのエリートで専門の部署に配属された座学インテリ設定の花澤さんっていちばんサイコパスという存在に対してこじらせていないとダメなはずだけどなぜか異世界から来た人みたいに振舞うし、いきなり現場で使い方も分かってないヘンテコ銃を支給されて、なぜか犯人はわざわざ女を担いでランナウェイするし、世界観ルール炸裂で異世界人みたいなヒューマニズムを持ってる花澤さんが関智をヘンテコ銃で撃つという強引過ぎる流れを見るに、ケミストリーはそうそう起こるもんじゃないってしつこい。
サイコパス部署のメンバーが異様に人間的で花澤さんが彼らのことを狂人として見ている(見たがっている)ってほうが設定として自然だと思うけど、劇中ではああなので、やりたいことは小突き回しなんだなって思ってちょっとゲンナリ。うろぶちさんってほんとヒューマニズムとか騎士道精神とかヒロイズムとかをいたぶるのが好きなんだな。ダークフレイムマスターも真っ青の中二病だよ。ダサいとは思うけどしかし作家性としてアリだとは思うので、それならもっとハッタリとこけおどしに説得力があってほしいとか。出だしのショボい殺し愛アクションに花澤さんの語りがかぶってダッサーと思ったせいで好意的に見ることが出来なかったような。まどかのあとで(映画も公開中で)ハイプしなきゃいけないアニメだと思うけど、ダメなものにはダメって言わないと。と、まどまぎ嫌いな人は思うのでした。こっから何かネタが仕込まれてるにしても1話がこれじゃあホラー映画の2とか3みたいなアトモスフィアがかもし出されるだけなんじゃないか。ただでさえギルクラのアトモスフィアに包まれてるのに。むしろギルクラはアニメの画面作りにおいて重要作だったということなのか。

しかし、踊るの青島刑事とうろぶちのアンチヒロイズム。書かれるべき現代ハードボイルドの項目がまた増えてしまったようだね。(キメ顔