やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (6) (ガガガ文庫)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (6) (ガガガ文庫)

ただ、俺だけが嵐の中で取り残されていく。

自分で言うなと思いましたが、こんな感じで初っ端からエモ系ハードボイルド。キャラがすごい情緒的に描かれているんだけど「それってそんなに深刻になるようなことかいなあ」と思いつつ読み進めるん。こいつらが何で揉めてるのかすらイマイチ実感できないままである。ヤバい。もう語る意味なさげ! 逃げろ! なんか事故のことでお互いどうしたらいいか分からない青春系自意識エンタっていうのでいいのかな? 
なんやこれ、思ってたのと全然違う。もっと雪ノ下の実家問題がクローズアップされて葉山に靡いてNTR展開になったからみんなが褒めてると思ったのに。ただの文化祭ロマンを再帰的に強化しただけやないか。口絵で展開バレてるくさかったけどな! なんだよこれは。違うだろ? ここは雪ノ下妹は姉と葉山を取り合ってお互い張り合ってるから二人ともあんなに優秀とかそういう設定追加すべきところだろ? 今まではちまんに構ってたのは事故らせた負い目だけで完全脈ナシでぼっちの仮面を外してお前が好きだ! とか告ってフラれてぼっちルサンチマンを乗り越えてラストはユイガハマに電話して「はちまん、どこにいるの?」とかノルウェイの森みたいな10年代の彷徨う魂の在り処を描きオタク向け恋愛ラノベのエポックとかそういうのじゃないの? 違った? 

取り乱しました。なるほど。うん。なんかはまちでこれをやってそれが大受けってのは何も起きない日常の敗北って感じがするw

わざと嫌われてトリックスターになるってのはハードボイルドっぽくていいですね。まさにダークナイト。SAOでキリトがわざとビーター扱いされるためにひどい振る舞いをするのに通じるものがある(サブキャラを雑魚化、クズ化させてしまうのも一緒。川原礫はあそこでこういう心理を描きたかったのねw)。ぼっちとソロプレイに共通するナルシシズムの発露のための作劇がうまいことはまってたのでおもしろかった(主人公の思惑通りにことが運ぶのが気持ちいい。相模ちゃんは都合よくクライマックスでボイコットかますw)。教室もデスゲームもハードボイルドナルシシズムが必要とされているんや。主人公は自らのぼっち観において歪んだ世界(学校)を語る。雪ノ下が文化祭実行委員でダークナイト化しようとしているがそれは似合わない、ダークナイトが似合うのはこの俺だ。まあ世界の歪みを引き受けるぼっちと言いつつ主人公には導いてくれたり煽ってくれたり慰めてくれたりしてくれそうなのがわんさかいるのでそんな深刻なもんでもないか(先生とかそろそろセックスさせてあげそうなくらいになってるし)。

シリーズ化したキャラクターノベルとして人間関係の移ろいを描くというのは分かるがこじらせオタク男子の武勇伝にはついていけなくなっていて、自分の加齢臭がヤバい。プロットがおもしろくても細部のラノベっぽさでダサいって思っちゃう。あとまあ作劇上しかたないとはいえ割と独善的というか抑圧的な心情を強要しているのがしんどかったな。んでそのオチは「世の中は分不相応なことをやる奴がいて、そいつらのせいで生まれる歪みは俺が引き受けるぜ」っていう。00年代か! このへんは時代性というかぼっち世界観を内面化していくための自己啓発的な強者のロールモデルがキャラ造詣として選択されているので、あんまり趣味じゃない。はちまんは「無理して変わらなくていい」というテーゼの一見日常主義的な美学でそれを日頃から実践している自分がダークナイトになる、雪ノ下は姉と張り合って崇高な輝きを求めていて、はちまんも今までは雪ノ下に崇高さを要求していたけど姉貴と張り合わなくていいだろとナオンを軟着陸させることで口説き落とし、一方でユイガハマのような輝きに憧れていたかもしれない相模ちゃんを利用する。ぼっちをモテさせるというテーマを物語として提示しようとしたときに作者の世界観が現れて、ぼっち的なるものを孤高の騎士として描くことが作者のやり方だった。チャンドラーの描くフィリップ・マーロウもロックオンした相手には粘着するけど、どうでもいい奴は皮肉をかましてわざと怒らせたりすることが多い。しかも相手に何か言い返すヒマを与えず強引に場面転換したりするからねw ゆえにはまちは正しくチャンドラーの後継と言えるだろう。かっこつけたがりマン。

個人的にはトリックスターってあるべき秩序を混乱させるからかっこいいと感じるので、今回のような秩序の回復に奉仕してしまうようなのは微妙だった。トリックスターというよりただのヒロイズムw はちまんのこじらせって毎回ただの反動ぽくて、むしろ今回クズ化の犠牲になった相模ちゃんがカースト下克上を目論んでメインキャラにぼろぼろにされる未熟な道化としてのトリックスターの役割を最後まで背負っていて、それを秩序の使者はちまん先生が「お前は最低だよ、相模」(てめえのそのふざけた幻想をブチ殺す)と文化祭ロマンを完結させる作りになっている。つまり雑魚ジョーカーで演出されたダークナイトw だから、終盤のナルい語りはちょっとやりすぎ。バットマンに「お前は最低だ」って言われてショボーンってなるジョーカーなんてダメでしょう。作者が提示する相模ちゃんの世界精神(はちまんのぼっち観で規定される他人のそれ)もはちまん自身のぼっち世界精神も二つとも息苦しいし。ゴッサムシティの一般人を舐めているというか、ここではサブキャラたちの世界精神が舐められているわけだけど。
つうか4巻のときとやってることほとんど一緒やぞ。イベント、サブキャラを利用したカースト考察、ぼっち世界観による変革に見せかけた再帰的な既存ロマンの強化、小出しにされる本筋。そしてこのあいのり感。ゆずの歌とか聞こえてくるわ。あと川嶋あいとかな。
スロー演出で名場面ダイジェストどうぞ。