王道をめぐる笑いの戦争 落第騎士の英雄譚、鉄血のオルフェンズ、魔法科高校の劣等生

落第騎士の英雄譚のアニメのフィルムの雰囲気がすごい気に入ってしまった。原作も読んでいるけど、何巻まで読んだのか覚えてないし、内容も覚えてないし、本当、まさしく読み捨てたんだけどもなんとなくイラストがかわいらしくていい感じだなあという記憶はうっすらとあって、今回のアニメではキャラクターデザインがそこをしっかりと掬ってくれていてメインヒロインが大変可愛らしく、石上静香が、ちょっと川澄綾子を髣髴とさせる芝居で、なんというかちゃんとお約束がお約束として成立している優しさみたいなものにうっとりしてしまっているんだけども……。キャラクター同士のかけあいも職人芸の域で、ベタさをここまできっちりと練り上げているのはなかなかないんじゃないかと思います。見ていて、ずっと感心していて、キャラクター造形や台詞回しにひっかかるようなところが何もなく、作品に過剰なものが存在しないし、そして欠落もない、ということなのかもしれない。むしろ清潔感さえあって一周して少年漫画っぽく感じる。
平凡な娯楽作品が持つ空虚な心地よさ……?

作品内に何らかの異質さを見出すとすれば酒井ミキオALI PROJECTの存在で、本編とはテイストが違うんじゃないかとされるくらいの耽美でヒロイックな歌と映像の作用においてコンテンツとしてのまとまり、作品が持つ可能性の、そのヒントがあるのかもしれないと思っている。(意訳 ヒロインたちがユニットを組んで歌を歌わないということに驚愕w)(詳しくは過去エントリの精霊使いの剣舞祭における文章を読め)

基本的には、というか、アニメ化以前のこの作品の成立条件は過剰も欠落もない魔法科高校の劣等生である、というのが本質であるはずで(名家出身の最弱主人公や評価基準が云々とかね)、学戦都市アスタリスクとテンプレ要素ダダかぶりというのは単なる副次的なものにすぎない。1万2万3万の読者を相手にしていた文庫と、数十万数百万のアニメということを考えれば、しょうがないことだけど、こういったミンストレルショーのような状況になるのはくだらないなあと。そしてそのショーを見ながら油をかぶった女性がどうとかのゴミクズみたいな文章にたいした反論もないブクマが4ケタついてて、ああいうのが今のアニメシーンの空気なのかなあと勝手に思っているわけですが……。(ああいうモードで接するのが適切だろうと考えている人が多いのかくらいの意味で……。

ツイッターでオルフェンズの感想をいくつかつぶやいたけれど、ラノベミンストレルショーでアニメファンが半笑いで指摘する作品の立ち上がりの作劇とその作用の出来においてはオルフェンズも似たようなもので、むしろこっちにうんざりした気分になっている。うんざりとはちょっと違うか。テンプレートの作用の駆動に、単に下手で失敗しているのではないかということである。作品設定から派生するキャラの動機、モチベーション、それらの方向付けなんかのジャンル内の押さえるべきポイントの獲得率は落第騎士の英雄譚のほうがだいぶ上である。オルフェンズの立ち上がりの出来は期待より下だったというのは別に言い過ぎではないでしょう。ちなみに今僕はここではいくつか嘘を書いているんですけど、なぜ嘘をつくかというと、そっちのほうが都合がいいからです。

表現上ジャンルが異なるだろうといっても物語は物語であるだろうから重なり合うところはいくつかあって、そのお約束(分かりやすいだろう、伝わりやすいだろう)と考えられている部分でオルフェンズと落第騎士の英雄譚を繋げるのが魔法科高校の劣等生ということになってしまうわけです。個人的には残念ながらと付け加えるけども、今日本で2番目に売れているライトノベル作品だからね。まあ、なぜコードギアスをパクらずにそれをパクるんだという。あとこれ完全に思い込みなんだけど、アニメのPとか企画屋って実際にモノが出来て似たような(近年の)先行作の名前を挙げられた時に「みなさんそうおっしゃるんですけどそれとは違う感じのものをやろうという企画だったんです」みたいなのが多すぎる。特にロボットアニメをやってる人たち。
まあそれはいいとして?

生真面目で高潔な軍人おじさんが少年兵と出会っちゃったもんだから頭がパーになって突然独断で規定を無視して決闘を申し込んできたので失笑してしまったんだけどもね。ラノベアニメでは主人公の特権性の確認、ヒロインの儀式的意味合いにおいてなされる決闘がオルフェンズでも為されたわけなんだけど、あの展開をちょっと俯瞰して考えると、あのおじさんはラッキースケベならぬアンラッキーだったということです。主人公たちの特権性を確認するためのかませです。魔法科高校の劣等生でたとえるなら服部君です。(覚えてる人少ないかもしれないが)
服部君「二科生なんかに生徒会の仕事が務まるかよ、決闘だ!」
高潔軍人おじさん「子供たちが戦争なんてやっていいわけないだろ、決闘だ!」
とまあこういう感じのことを思ってしまったんだよね。

そしてまた一方ネット小説、TUEEEEのセンスで書かれた作品群が持っている別のテンプレだと思うんだけど、賛美と肯定≒否定、があって、劣等生とオルフェンズでいうと達也×深雪×その他、三日月×オルガ×その他の基本ラインのなかでまあ微妙な違いはあるんだけども「よさないか深雪」「ですがお兄様」ほど露骨な台詞回しではないけども、クーデリアに嫌味を言う三日月とかクーデリアが三日月を理解しようとするとチクリと「お前ぜんぜん分かってねーよ」をかますオルガの関係性はどうしてもこの作法を連想してしまう。いや、お嬢さんのビルドゥングスならべつにあれはあれでいいんだけど、視聴者を乗せていく手続きはあれでいいのかって。

そしてこれらのテンプレートをめぐる作用を大別してフィルムには相手を受け入れたりする許したりすることと、一方で拒絶だったり不信だったりが刻まれることになるわけです。ライトノベルラッキースケベや決闘をめぐるテンプレートの作用は300ページ以内の一つの挿話でヒロインとの出会いや共感や設定における過去の清算などが必要だから強引にでもさらけ出されることが必要であり、揉め事を起こしたり同居したりすれば接触率は高くなり、それはキャラクターが持つ内面の複数性、お姫様が年相応にスケベだったり、外面は良いけど腹黒だったりとかそういうのが見えてくるのであり、・・・
そして2クールアニメやネット小説のフォーマットでは拒絶と不信においてスカすことがキャラクター性の強調においてそれほど不利にはならず、変化していくのを描くことが魅力になることもある。

まあちょっと気になるのは鉄華団ガンダムともヒロインとも、何事とも出会っていないようなホンに見えるってことかなあ。運命的な出会いなんてあるわけねーだろプゲラっていうクソリアリズムがコンセプトなら別にそれはそれでいいけどさ。世界から拒絶され、世界を拒絶する少年たちが禍々しい悪魔の力を手に入れたってほどでもないんだよね。クーデリアも暗殺されれば解放運動の歴史に名前が残るだろうと言われているのに「私は何も分かっていませんでした」って、これから序盤は狙われる立場なんだろうけど、ちょっともたもたさせすぎじゃないかなあ。基本設定のせいかキャラの役割がいかにも男尊女卑っぽくなってしまっている部分もあるし。お嬢さんがガチカリスマちっくで、お嬢さんとオルガが別々のエクソダスを模索するような構図のほうがいいかなあと思うけど、三日月の悪魔の力がどちらにつくんだろうとか、いや、アホっぽい展開希望はおいといて、妙に一方的なお話だなあと思っているわけです。ヒロイズムなんかより会社経営でしょ、というのも感じられて、いかにも中途半端な出来のものばかりが皿の上に投げ出される感じがして、おいしくいただくぜっていう気分にならない。
主人公たちのドラマのエクスキューズとその説得力においてラノベの公募じゃ一次も通らない水準だ。ブラックPMCで迫害されても、妙に冷静で飄々としていて、会社に腰を落ち着けまくっていて、物語を駆動するようなビジョンが特にない。アンラッキーバトルが3話の終わりっていう展開の遅さ。自分の間抜けな独断なんだとうだうだまくしたてる高潔軍人おじさんをぬっころす少年兵の歪な心……? まあクリエイターっつても自分の作家性で自爆寸前に追い込んでもメシが食えなくなるんだろうけど、シムーンゼノグラシアからクリエイターの意識はこれくらい後退しているんだなあと。
テンプレの意味作用の話から離れてしまったか? いやまあ「決闘」というものが組み込まれるときに持つ意味作用、ジャンルや媒体においての成功度と失敗度というものがありうるんじゃないかと思ったわけで。


テンプレいじりエントリを読むと、気が滅入るんだけど、落第騎士の英雄譚ステラ(今名前調べたw)の過去回想で「まるで人が努力してないみたいに」と歯軋りするところが「かませは斧w」で笑っている人がいたけど、あれは冗談で書いているからああなんだよね? よく読み取れなかったけど。あそこのシーン一つとってもステラは自分の価値観の否定≒肯定をすでに何度も通っていることが分かって主人公とのバトルがさらにそれを見つめる契機になっているのに対してオルフェンズのクーデリアにおける主人公たちとの価値観の出会いはドヤ顔されてまごついてしまったりする(死ねば人々の記憶に残るだろうと作中で言われているような解放運動の指導者が)、というのも、一方的平面的な印象を強める。

そして今までオルフェンズつまらない落第騎士おもしろいと言ってきたわけですけど落第騎士の原作は掛け値なしにおもしろくなく55点以下であることは保障するし、アニメもこの先よくわからない展開になるのだろうし、たしか普通に学園内で天下一武道会やるはずです。いやでもアニメだとおもしろいかもしれないw 僕自身このアニメの自分の評価を検討してみてどうすりゃいいんだよと思っているけども、まあジャンルの王道をめぐって、、、と記事のタイトルはこれにしときます。

わざわざこんな文字数で書くことかとも思うが、テンプレいじりでいささか不当な扱いを受けているなあと思ってて、落第騎士の英雄譚いいですよと言っている人もいたし録画していたものを見たらおもしろくて「おいおい、アニメファンの目は節穴か」(優しい表現)っつって自分の判断基準も整理しようと書いたわけです。オルフェンズをダシにしてしまったけど、書きながら演出の戯画化の作用、というような大雑把なフレーズも浮かびました。まあ、クーデリアはステラと違って男の裸には興味がなく、顔を赤らめることもなく、同様に作り手もそのような視線を必要としていない、程度の意味です。あの異様な背中のビジュアルイメージ・・・ 性的欲求の描き方、フィルムの品格、etc,etc.

読み直したけどちょっと書き飛ばしすぎだ。何言ってるのかぜんぜん分からん。まあ、以前から気になってた川原礫やらダンまちあたりのTUEEEセンスのプロットに「これぞ王道!」(アマゾンレビューふう)みたいなテンションで乗ってる層があって、まあちょっとした設定や展開なんやらの匙加減にすぎないところなんだけど、そういう僕が笑ってしまう王道があり、アニメファンたちを笑いで包み込む落第騎士があり、そしてオルフェンズや劣等生やらそれぞれ重なりあって同じことをやっているなあと毎回結論これしかない。それを見ている人間の世界観という単純なことなのかもしれない。天下一武道会ラッキースケベに失笑することとブラック会社のアホでブサイクな大人と身勝手なヒロイズム軍人殺しちゃったりするのとかっこいいお兄様と、みんなおもしろいよね!(大丈夫だよ。俺もこれから頑張っていくから(どっかの褐色白髪の笑顔
よっしゃこれでタイトルとつながったからオチたな。