トリッパーがラノベ特集らしい。いつまで新城カズマに話聞きに言ってんだ、とは思ったね。まあ文芸誌だからメタ消費の指導もしとかないと駄目なのかもしれない。オッサンラノベ、サバンナ系の手がかりとして川原礫のインタビュウはありがたい。果たして何を語っているのか。「所詮はラノベにならないために」か。やっぱり川原礫の中ではあの世界観が一つのあるべき正しき掟のあり方として成立してるんだ。一般文芸ですっていう宣言みたいなもんだよ。
でも本当にやってほしいのは川原×佐島のハードボイルド対談だったりする。自己顕示のために他者をなぶり殺すような下劣な全能感丸出しなのに、本命ヒロインには特権的な立場を与えるという「自分をヨイショするナオン限定で持ち出される都合のいい他者への想像力」が逆説的に恋愛のエクリチュールとして読者に「ハーレムものとは違うから好感が持てるね」という受け止められ方をしている現状についてとか、そんな話を聞いてみたい。
「所詮はラノベにならないために」の恋愛観
オッサンラノベにおいてはそういった保守的な恋愛観(ファンタジーとしての恋愛)を志向することでそれが入り口を広げる可能性もないではないだろうけど、やるならもっとちゃんとやれってことしかない。
でも、たとえばオタクは恋愛を信じてない部分があるからこそシニカルにハーレムを作ってメタ的に消費したりするなんて誰が信じてくれるのだろう。やっぱりナチュラルにナオンの頭を撫でる恋愛観しか信用されないんだよ。
SAOを見て、現実に壁を殴ったりする人はいないしもしいるならまず病院に行くべきだ。
規範は強固である。

魔法科高校は5巻で買うのやめてしまっているんですが新刊の評判をチェックしにスレに行ったらなんか読みたくなってきました。ウェブで読んだ時の記憶は、なんか横浜でドラゴンボールみたいなことになったオチくらいしか残ってないので楽しめそうです。奇しくも現実世界では国交が大揉めなこともあって、謎の読み応えが現れつつある。
カメハメ波や元気玉を撃ちたいという幼児的な欲望をそのまま支配欲にスライドさせてしまったかのような話のようである。ハードボイルドの超人願望は他者への想像力の無さを撃つものであったはずなのに、佐島勤の世界観は川原とは違う意味でぶっ飛んでるね。おそらくだけど、作中で起こってることに対する批評性とかは皆無で、主人公大活躍、よく頑張った、感動したッ、っていうノリで書かれているはずだし、なんかインテーネッツ世代の理不尽に急激に拡張された世界に対する認識における妄想の産物の墓標にしなければならないような、そういう小説として読んでもいいのかもしれないと、スレを見て思いましたね。
まあ本気で受け取るのも痛いし、それこそ思春期の子供の自己不全なんだけどw 現実でもものすごい世界観を内面化していそうな人たちがいっぱいいるし、ある意味では尖がった想像力を用いて書かれているとも考えられる。でも基本的にそっとしておくべきタイプの想像力だから、やっぱり三木は悪いことをしてしまったよね。