セカイ系からTYPE-MOONへの流れっていうのはやはり闘争への気分であると思っているのだがうまく言葉に出来ん。それをぼんやり考えて、そういやエヴァではシンジは戦っていたんだなあということに思いを馳せるのです。セカイ系につきまとう関係性の倫理なんやらがウザイので戦うことにしましたっていうのは単純すぎるし、でもまあ戦う美少女と一緒に戦いたいってのはあるよな、実際。00年代的に屁理屈こねてるだけじゃツマンネーというのもある。世界の情報量と世界との関係が結びつかないこと、00年代が目指すべきものは現実への復讐としての闘争ではないということです。そっからどうすんのよって話で、フィクションってのはこれはこうだった、あれはああだったというのもちょっと乱暴すぎるけど結局そんなモンで、そこにロマンが介入してしまうのもまた魅力なわけだけれども、そういうふうに捉えるとガチンコに主題をふまえて描かれる二次創作っていうのはすごくステキなフィクションの在り方かもしれない。欲望の先走り汁が漏れるのは、うん、まあ。
オイラのオタク的感性はいわゆる高度な達成というやつをそれほど要求しない。何をもってしてそうするのかはまあ置いといていわゆるケチのつけにくい出来のいい作品ですな。だから何よ、というのはなんか見えてくる風景があってそれが好きか嫌いかという、まさにドキュソな感じで。それで判断してます。オチはない。下手な鉄砲数打ちゃ当たるというのを如何に回避して自分の好きな風景に辿り着けるかということで。年間何冊とかいうのも基本的にファックなんだけど例えば大森望みたいなのにも地味に嫉妬する。メッタ斬り以降厨っぽいイメージがついた気がするけどな。