エヴァとガンダムWの偽史

エヴァオタであると同時にWも愛してるのです。リアルタイムじゃこの二つって同時期にやってたのか、すごいな。そう思うの俺だけ?なんか自分語りもとい自史の追求って大事なんじゃないかとハッタリかましたいだけなんだけど、まあ。最近ラノベからも呼ばれてない気がしていて(電撃の新人誰も買ってないしな)「お前どんなラノベに呼ばれたいの」って自分に聞いてみたら「Wみたいなやつ」って返してきやがったのでじゃあ見直すかと思えばDVD持ってないダビングしてあったVHS紛失というとんでもない事態に。しょうがないので思いを馳せるだけにしときました。正史ってもうエヴァだらけやん?俺の妄想かもしれんが。
セカイ系と型月的闘争譚もエヴァ。すべてが終わっても世界は変わらないだろうというほとんど確信に近い予感の中で描かれてるという意味で。ラノベでもシャナとかさ、型月流れの伝奇だけど世界の変化とかどうでもいい感じでしょ、世界の現状維持のために頑張ってる人たちの話だから、違ったっけ?ファウスト的なのもエヴァだし、リアフィも3年前のSFが読みたいのウブカタ、秋山、小川が口を揃えて「男の子のヘタレさ」をアピール。エヴァ以降の戦闘美少女は野郎のクズっぷりを棚に上げたオタクの下劣極まる欲望の産物である。え?愛でたいだけ?ノンノンノンノンノン。俺らはシンジであることをやめられなかったのである。冷笑してもスカしてもシンジはシンジ、ちせ、アルク、セイバー、シャナ、箱庭へのエスコート。最近は桜の木の下で「少女」のでっちあげに加担する始末。あれ、こんなこと書きたかったんじゃないんだけど、別にいいか。
なんだっけ、世界と箱庭と少年と少女みたいなので、誰か、頼む。世界が変わろうが変わらなかろうが関係ねえよ的世界観をポストエヴァだと仮定するとほとんどが含まれそうな気もするけどそこスルーな。Wって言うたら「戦争、革命、テロ」みたいな話やん?美男美女の世界への意志が充満してるとか適当に思いついたフレーズかますけどさ。箱庭ばっかり手入れしてないで世界を革命しようぜ。確かにね、ちょっと危ないと、お前ちょっと矢吹駆に説得されてこいと、そう言われかねん。「観念の炸裂」とか口走るようなキチガイとしての世界を変えたがってる男の子の不可能性ってあるよな。闘争のための闘争というデッドエンドをどうしても乗り越えられないから、ましてや娯楽であるならば、という感じでエヴァになだれ込んでいったのはそれしか道がなかったのだろうけど、キチガイ予備軍としては物足りんのよ。いわゆる戦闘美少女たちの存在感とリリーナの存在感の差異、みたいなのも。なんつうか結局良くも悪くも軽薄よね、オタク的な消費も。パンピのそれと大差ないというか、セカイ系とかもうどうでもいい空気だしてるもん。手段も目的も介入しない戯れ、需要と供給の速度。俺には意志が足りん、意志が。
ここ2,3年の男子オタクが好んできたセカイ系と現代ファンタジー的闘争譚があってさ、世界の在り方には関心がなくって世界はただあればいい、というふいんきで、美少女達と僕と世界があればいいと。色んなユートピアがあるんだけど千年王国は千年間問題を先送りにしてるだけと『兇天使』で言ってたのを思い出しましたが、如何か。哲学の実践というキモキモしいことではない。あるいは継承と発明と消費が千年の闘争になるのだろうか。やっぱり分かっていたいし自覚してたいってのはある。たまに襲い掛かってくるのよ、アニメとか声優とか読書でも音楽でも世界の輪郭を描き出すことに対して「あらゆることに意味がない」という意識が。電波の受信とも言う。