好きなように呼べばいいと思うよ。

http://d.hatena.ne.jp/REV/20060308#p5
現代学園異能というのが頑張ってる。シャナとかレジンの感想で現代ファンタジーって便利だな、とほざいていた俺を置き去りにして。
それほどキャッチーなフレーズとも思えんのだが、奈須以降の言語感覚と思うことにするわ。現代、学園、異能なのか現代学園、異能なのか現代、学園異能なのか。構成してる要素をくっつけました感。ファンタジーを異能とくっつけるとあとは学園なんだけどこれも要請される恋愛モードやイベントに接続しやすいから流行ってるんだろうし、でも90年代な主人公ほか数人が異世界に行ってもそれは可能じゃねえかと、エルハザードとかな、ラノベは知らん。むしろ現学異の異世界がぼやけてる分フィクションとしてエルハより後退してる気も。「現実なんてクソだ、ファック」な俺たちがスペシャルでありたいというドリームとして読むしかない。そもそも特権性とはドリームに他ならない、名無しの屍の上で英雄気取りか、おめでてーな。
しかしファッキン世界な俺たちが読んでいるはずなのに「日常」守ります系が多いのは不可解だ。ははーん、あれだな。ここで学園なわけだな。つまるところ学園とは聖域、サンクチュアリ、かけがえのない日常という神話の捏造、たしかに魅力的だ。
でも人知れず戦って、守るみたいなのってある意味傲慢だよ。まあドラマチックにネタバレして川澄の声で「○×君は、人間です」とか言われたらそりゃ泣くけどさ。ラノベに声はないがそこスルーな、個人的な嗜好だから。
ひっかかるのは異能で、いまどき超能力とかESPとかダセえよという感覚が異能という言葉を選ばせるわけで、でもぶっちゃけ超現象、超組織、超世界、超主人公ってことで現実の学園生活と地続きな世界観を基にして超がひしめく「超現代系」ということで佐藤心を乗り越えたいと思います。もちろん「超」は貶してるわけではない。ちなみ現代系オタとは一切関係ありません。