エロゲを捨て街に出よう。

新潮 2006年 12月号 [雑誌]

新潮 2006年 12月号 [雑誌]

和む。牧歌的っつーの?ユヤの話な。
村上春樹トリビュートばい佐藤友哉。春樹の気取ってるのか勘違いしてるのか良くわからんオサレイズムをユヤの文学に対する屈折と入れ替えた感じです。正直小説としては色々な意味で文学的運動に欠けていて凡作という印象だがこういうことを書かざるを得ない無邪気さに萌えるのがファウスト世代の正しいあり方なのだろう。またやってるよアイツwとなってしまうことに本人はどう思ってるか知らないが。誠実ではあるが切実ではないので大して響かない。
典型的な宝探し、聖杯探求譚。まあそりゃ春樹をパクるだろうってなもんよ。ユヤは真人間なので春樹みたいに薄ら寒くならないんだけどやってることは同じ。まず主人公は無職、働いてたりするけどちょっと斜に構えて「労働は雪かきなんだ」とかいうライター未満、小説家未満。そこになぜかそこそこきれいな女が登場。なぜか自分と関係のある女が失踪した。これみよがしに接近してくる彼岸。声だけDVDの映像見るだけで射精、女は絶頂。途方もない力場を無理やり発生させる。耳の形が綺麗過ぎて他人を圧倒する女とかさ、春樹もそういうはったり好きやん?やみ、バックベアードやみくろ、綿谷ノボル、日本文学。春樹だったら日本文学で失踪した女をファックさせてるだろう。綿谷ノボルみたいに勃起できないので「何か得体の知れない負の感情が私の中に流れ込んできたのです。」とかその女に言わせんの。「意識の娼婦なんですよ。」「あなたは私を抱かなければならない」みたいなそれなんてエロゲモード突入。いや、そういうのにはならないんだけどね。パロが徹底されてないから。都市に幻視される謎の領域。やみくろが住んでる。そこで生きてる人もいてすったもんだの末助けてくれる。帰還の果て。抽象的な問題を観念としてだけ背負わされたキャラクターとの出会いと別れ。観念はキャラクターを突き破って世界に産み落とされることはなく、最初から最後までのっぺりとした手触りで霧消していく。バックベアードには顔がない!
んでオチはとってつけたような文字と文章のメタファーで俺たちの戦いはこれからだエンド。春樹パロで370枚の原稿料ふんだくったぜwと本人が思ってるならいいけど、素で、本気で書いたのがこれならもうユヤはヤバイと思うよ。