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新世界より
やべえ、ほっちゃん1話でフェイドアウト。そしてなぜか遠藤綾。ええい、遠未来魔法科中学の劣等生はまだか!
やはりサバンナは大人に管理されるしかないようだ。肥大する思春期の自意識と全能感が全世界規模で暴走したことによって世界は一度破滅してしまったのでそのサバンナとの境界も全能感も何もかも管理されなければならない。こういうサクッと間引きが行われるとやれやれ系ハードボイルドって管理社会においては圧倒的に無力なのかなって思っちゃうよね。劣等生とかは「たとえそれが、兄と妹であっても」ってなんかドヤ顔で実力主義の世界厳しいですアピールするんだけど世界設定の評価基準では計れないアイロニーとか言ってる場合じゃない。全能感を制御できない奴は間引かれる。
はい、原作はもうどんな話だったか完全に忘れてしまってます。
なんかいかにも大人が書いてる超能力モノって感じがするね。人間嫌いの作者のニヒリズムなんて書くといかにも中二病なんだけど、自己不全のガキの全能感に対して示す大人の普通のまなざしっていうか、ありがちな嫌悪感っていうか、そういうのではあるよね。これを古臭いと感じてしまって、まどマギのインキュベーションのニヒリズムに踊らされる魔法少女たちにワッフルするのがオタクカルチャアの美学の問題ってことなのかな。ガキンチョどものダベるシーンとかにも一般文芸異能と魔法少女モノのアプローチの違いがあってふむふむったわけですけど。
中二病といえば、恋がしたくて有名なあれも始まりましたが、「お前黒コートに長剣disるとかキリトさん馬鹿にしてんの?」って思いましたね。とりたてて管理する必要もないささやかな願望を自己の制御下に追い込もうとするのが哀れみを誘う。もっとキリトを見習って他人を蔑ろにすることを学べばそんな抑圧に屈することもないだろうに。
でも、コミュ障と常識人のフリした男子のいつものオタに優しい系かと思いきやこいつら普通に対人スキル高すぎるのでただの青春アニメとして楽しむのがいいんだろうな。たとえ主題が機能してない失敗作だとしてもキャラが可愛ければいいんだ。美しければそれでいいんだ。