Consolation

Consolation

高値で安定のボーカリストたち、求められてる世界をきっちり提供する楽曲群ということで、FictionJunction含め梶浦由記の周りってなんとなくアニソン界におけるポジションがJAM Projectっぽくなりつつある。ある種のギルドというか。

高品質のものを作る職人には頑張って欲しいので、ニコニコで市民革命が起こってインターネットカラオケマン(さっき知った言葉w)とその取り巻きの集団が結果的にギルドをぶっ潰すことになったりするのはよろしくない。よろしくないというか、このギルドっぽさって00年代のゴシックポップの様式が普遍性を獲得できなかったっていうことでもあるのかしらんと思っていて。たとえばアリプロ的なものも、ギルド的な密室性を帯びているし。まあアリプロとかと比較するとカラフィナは微妙にベクトルが違いますが、梶浦由記周りはいわゆるゴシックと呼ばれるものには近いわけやん?(個人的にはゴシックというか現代日本版のDead Can Danceだと思ってますが)
普遍性を獲得したのが水樹奈々的な、パワーメタルポップスで、熱血系アニソンの次にオタク的な消費スタイルの中に回収された音楽ジャンルがいわゆるゴシック系になったわけです。表現自体はかなり隣接しているんだけどアートワークや宣伝広告の世界観含めた場合JAM Projectやカラフィナってシーンの中でギルド的な印象がある。
だから何? っていうと別になんでもないんだけど。 いや、最初は梶浦由記周りってもうすっかり特権性を獲得しているなあって思って褒めようと思ったはず。あと、最近インターネットカラオケマンたちの音源をいくつか聞いてみて、それらが想像していたよりはひどくなくて、でも基本ミーハーなユースカルチャアとしての消費を前提としたジャンルをそのままやってたり、(エモとかギターロックとか)もしくはニコニコ動画的な、あまりにもニコニコ動画的な、とスガごっこをしたくなるような「コンテンツの音源化」だったり(まあこれはインターネットカラオケマンとは別のトライブのようですが(?))そういうしょっぱいのを聞いたあとカラフィナ聞いてると、当たり前なんだけどギルドの職人たちが作るモンは聞きごたえがダンチなわけで、でもたとえば最近発表された空の境界のリブート(?)の主題歌がカラフィナですってなったらズコーってなるなあって思って、こういう褒めたいのか貶したいのかよくわからない文章を書いている。

あと、これは私だけじゃないはずなんだけど、声優がアーティスト活動やってるとたいていの人はドラスティックに音楽ジャンルを変えなくてもちゃんとアップデイトされている(と感じる)のに、カラフィナだとそれがほとんど感じないw アップデイトされてると思うのはやっぱり声オタというトライブに属しているのが大きいと思われるわけですが、群雄割拠な状況の中でそれも怪しくなってきたような、気も、が。
まとまりないうえにそろそろしんどくなってきたのでこのへんで〆ます。で、でたー音楽消費を状況論化し奴〜〜っぽくなってしまったけど、自分の趣味性に軸足置いて周りを見てみたいときってあるやん?
いや、ひとつの音楽ジャンルになりつつある梶浦由記みたいなことだけを言っておけばよかったのかもしれない。インターネット日記マンの承認欲求が無駄な文章を書かせたのである。