相変わらず好調でうれしい。14巻目とかまで続くとこれまで多くの異能バトルの人気作品がモタついてダブついてくるところだけど、ほどよい進み具合にほどよい作品のテンションで安定した読み心地。活劇系の現代異能のフォーマットとしての洗練が達成されつつあるような気がします。どれくらいの世界設定やキャラ描写でどれくらいの語り口でどんなプロットを展開すればいいのかという意味でストブラは先端を開いている。もっと言うと、どんな世界設定の作品でどんな世界の秘密があってどんなキャラがそこに関わっているのかの手綱の取り方のことなのだけど。(くりかえし) しかし過剰さはないので、ある種の批評性というか現代性、時代性というような部分で「刺さる」というような作品にはなりにくい。でも10年くらいラノベを読んでて、メディアの作法としてのパッチワークの技術がだんだん上手くなっていくこと、職人の技が確立していくような感覚があり、それを楽しんでいるという感じです。
しいて言えば、文系SF的な世界観を設定の背景にしながらアクション≒戦争≒テロリスムあたりの諸々に接近していく語り口がまあ時代性のようなものになるのかもしれません。で、これってわりと今までのライトノベル現代異能がやれていなかった領域ではあるのかなと思っているんですよ。禁書やそれ以降の、あるいはタイプムーンが無視してきた近代社会と荒唐無稽な異能バトルをいかにそれらしく接続して語るのかという。接続はちょっと違うな。擦り合わせる力加減(?)というような・・・
もっとも、緻密なシミュレーションであるとか、社会や歴史への深い洞察であるとかが書かれているわけではない。ここではむしろ世界設定の自己言及としてのテロル、破滅の願望としてのテロル、それらテロリストへのシンパシーなんていうと言いすぎかも知れないけれど、それがうっすらと書かれ、当然まあ主人公サイドによってそれは頓挫するんだけど、ひとつの世界観として真っ当に感じられる。異能バトルなのにw
世の中には排除される存在があり忘れられる存在があり失敗する存在があり、それに怒っていたり悲しんでいたり、という当たり前のことを書いている。ひょっとしたら作家としての良心ってそういうことかもなあと思ったりもするわけです。10年代にというか、今現在異能バトルが書かれたり読まれたりすることっていったいどういうことなんだろうとは、まあ、このラインのものに限らず、プロパガンダ臭いものも含めて思うところがあるんだけども。

ストブラは、別に冒険的なプロットに強い動機がある物語ではなくて、都市生活の亀裂というか、絃神島というひとつの楽園≒収容所で共同体が抱えている悪意とどう向き合っていくのかがキモになってきて、現代学園異能の描ける射程ががゆっくりと変化していることが分かるシリーズになってきていると、まあそんなところです。作者の豪腕に唸るとか、血沸き肉踊るような活劇小説、というわけにはいかないのが惜しいところだけれど。僕はもうキャラに愛着湧いてしまっているのでw いわゆるゴリゴリの作家たちのと比べたらべつだんすごいものではないです。ちょうどいい小説です。