なんというか、雄雄しいですね。

http://www.geocities.jp/wakusei2nd/eva02.html
エヴァに関わった自分とその現象、何があって何がなかったのか。いわゆる総括ってやつはすげーマッチョな発想で別にそれが良いとか悪いとかじゃないんだけど個人的にはあんま好きになれん。やたら教育的なんで、オセッカイ系としては正しいんじゃないでしょうか。オタク第三世代の生徒会役員決めるんで立候補してなんかプレゼンしてください的な空気。キツイ物言いするけどダメオタに気をかけてくれるツンデレ生徒会長希望。「ベ、べつにあんたのリテラシーが低いことなんてどうだっていいんだからね。」
不可能なる現実、みたいなもんがあってそれに対するリアリティーの確保、対応を称揚する評価の仕方みたいなもんがある。浅いとか薄っぺらいとか言われるアレ。構築的なリアリズムへの欲望。現実そのものであるかのようなフィクション。エヴァはそういうものにならずに、なれずに不可能なる現実だけを残したというのはおそらく間違っていない。そこで「気持ち悪い」という呪いの言葉だけを世界の果てで吐かれたオタクにとってはある意味ではカテジナに否定されるよりも残酷なことかもしれないということで。文字通り茫然自失。何を考えていいのかすら分からないようになる。でもたぶんそれでいいのだと思われ。べつにフィクションと現実は残酷さの競い合いをしているわけではない。この世界の残酷さから救われるためにフィクションを求めるのは不毛すぎる。この世界が残酷なのはたぶん間違いないのだろうけど、残酷である世界を自分から望んでいるような身振りはしたくないってことで。不可能なる現実で描かれた残酷な世界はぱにぽにだっしゅ!かみちゅで描かれるユートピアと矛盾しない。たぶん。そこで欲望される「何かよきもの」は「気持ち悪い」と口にされた後でシンジとアスカがもう一度触れ合うための場所を開くことにもなるはず。あと天野こずえの漫画も。世界が残酷でも正義の味方になりたい男の子はFate/stay nightで戦ってもいい。でも俺らが残酷な世界を求めなければならない理由なんてないッスよ。エヴァに巻き込まれた世界に生きたから自分自身を語らなければエヴァは語れない。よって要約不可能。世界を掌握したい欲望を持ちすぎなければFじゃない道もあるよ。いっぱい。