オタはなんだかんだといって結局恋愛の重力に逆らえきれてない

メタフィクションラバーズであるしかない俺たちはおそらく今日も明日も作り物の恋愛に対してウダウダ文句を言うのだろう。あらゆるものが現在進行形で終わり続けるシャカイ生活のなかで唯一終わらずにいようという意思を作り物の恋愛に託すのだろう。
あー、なんだ、舞乙とかシャナとか最近売れっ子なアニメは微妙に下世話な恋愛模様で話を転がしててなんだかなあという話。三角関係とか嫉妬とかで成り立つものを喜んでるのはどうなんでしょ。かしましとかつまんねえなと思いながら恋愛が主題になるととたんに白けるのは俺がプーなせいではないはずで、物語が主題をすっとばして恋愛と直結するレンアイ系ってまあただのラブコメのことなんだけど修羅場スキーとか正負どっちの感情にもおっきしにくくなってきてる自覚とともに恋愛は主題ではなく条件なのだと気づきました。
シャナ劇場版ということで深夜のヘヴィオタ向けアニメが放送中反響があって劇場版という流れは久々のような(ラーゼフォン以来?他にあったっけか)気がして、俺が推奨する「シャナ恥ずい説」の恥ずかしさがマジョリティに受けているのかいないのか誰か教えてください。オタク的新條まゆ的恋愛というか結局週刊誌的想像力で楽しもうとしてるオタはファックという話。
ラノベ恋愛論とか誰かやってねえかな。ラーゼフォンとか書いたらなんか見たくなってきたな、かかずの朝比奈とか。ちゃんとキャラの名前覚えてる俺にびっくり。

「私はー、ちょっとだけー、ほんのちょびっとだけー、坂井優二のことがー、好きでしたー。」(cv川澄綾子)(吉田さん)
恵ってツンデレだったなあと思いつつ初期は宮田声のキャラに惚れてて主人公とのアンビバレンツな恋愛模様のシャナと比べてずいぶんアダルトな恋愛してたアニメだったなそういや。久川の遥と真綾の三島はアレなのでパス。久遠か朝比奈か恵か、だったからね、俺は。

なんかツンデレってフレーズは想像力を去勢させてるなと思わずにはいられん。定義とかフレーズはやっぱダメだな、思考の線を辿るのは楽しいかもしれんが着地したらおしまい。放物線は虹にはなれん。

基本的に現代人は他人を好きとか愛していることを「恥ずかしがる」これが第一の命題でツンデレのノイントテーゼというくそつまらんフレーズを思いついただけのことで暇人は九つ考えてください。
二つ目は好かれること愛されることもまた「恥ずかしがる」続けてしまった、何を書くつもりだったのか、俺は。
恥ずかしいからこそ「ツン」なのだし恥ずかしいからこそ「デレてしまう」のである。メタ化された恥辱の去勢がツンデレの正体なのであって、メタ化の視線は「デレられない」ツンデレを見ることができない。「ツン」の時点で女が顔を赤らめてるのを見て「ツンデレキター」と言っているのがせいぜいである。本当はだれも「ツン」なんてしたくないのである。「デレ」たい。でもデレ方が分からない。ギャップ?あほか。んなもん捏造された価値に決まってるやろ。大事なんはデレようとする意思や、デレ方なんてアンアンとかニキータの煽り文にまかせとけばええねん。シャナも吉田さんもアンアン熟読しそうな勢いやろ?それが恥ずい説の始まり。