桑島法子から遠く離れて

あの日、あの時にとどまる事ができない声オタとしてのノスタルジーではなくて桑島法子そのものを引き受けるために。ぶっちゃけるとポスト桑島法子って言いたいだけ。小清水亜美がそこに来ていたはずなんだけどハルヒとかひまわりっ!のしきみとか見てると平野綾もそこに向かい始めているのではないかと言う電波を受信したので。
ナデシコ以降、桁違いのスペックで疾走していた桑島が走っていた道。00年代も後半にさしかかりそろそろ追いつき追い越せという老い始めたオタの妄想。そのために90年代の超克という作業を課すならば小清水、平野、両名が共に80年代後半生まれということを単純な時間の経過、過ぎ去るための時間が確かに経ったのだという事実として記しておかなければならないだろう。無垢なまま00年代と寝た声優として最も大器を感じさせる小清水、一方で多重人格探偵サイコ(大塚英志!!)のロリータ℃役として90年代を体感していた平野。ある意味で対照的な新世代の両雄、またある意味では奇妙な符合が桑島法子を介することによって明らかになる。90年代を引きずるしかない第三世代が京アニハルヒという00年代的な現象に、つまり声オタとしてハルヒを演じる平野に新しい扉を開ける幻想を押し付けるのは傲慢だろうか。あるいは、手垢のひとつもついていなかった頃を知っているという幻想を小清水に見ようとすることも。
何が言いたいかというと今期はなんかアニメを見ていて幸せな気分になれている度が高いと言うことです。平野綾はもうちょい色んな役で見てみたい、今までそんな気にしてなかった人なので。