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フェイトグランドオーダーとかドリフターズとか、いまのあの辺の代表格の人らが、どんどん、この現在の世界から、作品世界を切り離していっていることとも地続きであろうと・・・。
ベル君は引っ込んでてくれないか(どっかの紐
もうこのトシになると半年前のに読んだ内容は覚えていない。でも3巻までは褒めていたしどういうことをやっていたかも覚えているし4巻を覚えてないってことはたぶんテンション落ちたり僕にとってマイナスっぽいことを作者がやってしまったから頭から出て行ったんだろうなと、中学生日記未満みたいな300ページを読みつつ作中で言及される内容で「ああ、あれだあれだ」と思ったけども、そんな萎えた気持ちでもいちおう読んでおこうと思う程度には応援していたんですが、ここで読むの一旦停めますw もうこの作者のこの世界のこの速度のそのやり方は本編リンクとの兼ね合いでダラダラする一方であとがきでもまたダラダラ宣言かまされてるし何冊かまとめ読みしたほうがストレスないでしょう。ある意味ダンジョンを都市に見立てたシュピーゲルみたいな構成になっているのですが、本編は7巻で切ったんでまた続きを読んだりしないといけないかもしれない。
王道をめぐる笑いの戦争 落第騎士の英雄譚、鉄血のオルフェンズ、魔法科高校の劣等生
落第騎士の英雄譚のアニメのフィルムの雰囲気がすごい気に入ってしまった。原作も読んでいるけど、何巻まで読んだのか覚えてないし、内容も覚えてないし、本当、まさしく読み捨てたんだけどもなんとなくイラストがかわいらしくていい感じだなあという記憶はうっすらとあって、今回のアニメではキャラクターデザインがそこをしっかりと掬ってくれていてメインヒロインが大変可愛らしく、石上静香が、ちょっと川澄綾子を髣髴とさせる芝居で、なんというかちゃんとお約束がお約束として成立している優しさみたいなものにうっとりしてしまっているんだけども……。キャラクター同士のかけあいも職人芸の域で、ベタさをここまできっちりと練り上げているのはなかなかないんじゃないかと思います。見ていて、ずっと感心していて、キャラクター造形や台詞回しにひっかかるようなところが何もなく、作品に過剰なものが存在しないし、そして欠落もない、ということなのかもしれない。むしろ清潔感さえあって一周して少年漫画っぽく感じる。
平凡な娯楽作品が持つ空虚な心地よさ……?
作品内に何らかの異質さを見出すとすれば酒井ミキオとALI PROJECTの存在で、本編とはテイストが違うんじゃないかとされるくらいの耽美でヒロイックな歌と映像の作用においてコンテンツとしてのまとまり、作品が持つ可能性の、そのヒントがあるのかもしれないと思っている。(意訳 ヒロインたちがユニットを組んで歌を歌わないということに驚愕w)(詳しくは過去エントリの精霊使いの剣舞祭における文章を読め)
基本的には、というか、アニメ化以前のこの作品の成立条件は過剰も欠落もない魔法科高校の劣等生である、というのが本質であるはずで(名家出身の最弱主人公や評価基準が云々とかね)、学戦都市アスタリスクとテンプレ要素ダダかぶりというのは単なる副次的なものにすぎない。1万2万3万の読者を相手にしていた文庫と、数十万数百万のアニメということを考えれば、しょうがないことだけど、こういったミンストレルショーのような状況になるのはくだらないなあと。そしてそのショーを見ながら油をかぶった女性がどうとかのゴミクズみたいな文章にたいした反論もないブクマが4ケタついてて、ああいうのが今のアニメシーンの空気なのかなあと勝手に思っているわけですが……。(ああいうモードで接するのが適切だろうと考えている人が多いのかくらいの意味で……。
ツイッターでオルフェンズの感想をいくつかつぶやいたけれど、ラノベのミンストレルショーでアニメファンが半笑いで指摘する作品の立ち上がりの作劇とその作用の出来においてはオルフェンズも似たようなもので、むしろこっちにうんざりした気分になっている。うんざりとはちょっと違うか。テンプレートの作用の駆動に、単に下手で失敗しているのではないかということである。作品設定から派生するキャラの動機、モチベーション、それらの方向付けなんかのジャンル内の押さえるべきポイントの獲得率は落第騎士の英雄譚のほうがだいぶ上である。オルフェンズの立ち上がりの出来は期待より下だったというのは別に言い過ぎではないでしょう。ちなみに今僕はここではいくつか嘘を書いているんですけど、なぜ嘘をつくかというと、そっちのほうが都合がいいからです。
表現上ジャンルが異なるだろうといっても物語は物語であるだろうから重なり合うところはいくつかあって、そのお約束(分かりやすいだろう、伝わりやすいだろう)と考えられている部分でオルフェンズと落第騎士の英雄譚を繋げるのが魔法科高校の劣等生ということになってしまうわけです。個人的には残念ながらと付け加えるけども、今日本で2番目に売れているライトノベル作品だからね。まあ、なぜコードギアスをパクらずにそれをパクるんだという。あとこれ完全に思い込みなんだけど、アニメのPとか企画屋って実際にモノが出来て似たような(近年の)先行作の名前を挙げられた時に「みなさんそうおっしゃるんですけどそれとは違う感じのものをやろうという企画だったんです」みたいなのが多すぎる。特にロボットアニメをやってる人たち。
まあそれはいいとして?
生真面目で高潔な軍人おじさんが少年兵と出会っちゃったもんだから頭がパーになって突然独断で規定を無視して決闘を申し込んできたので失笑してしまったんだけどもね。ラノベアニメでは主人公の特権性の確認、ヒロインの儀式的意味合いにおいてなされる決闘がオルフェンズでも為されたわけなんだけど、あの展開をちょっと俯瞰して考えると、あのおじさんはラッキースケベならぬアンラッキーだったということです。主人公たちの特権性を確認するためのかませです。魔法科高校の劣等生でたとえるなら服部君です。(覚えてる人少ないかもしれないが)
服部君「二科生なんかに生徒会の仕事が務まるかよ、決闘だ!」
高潔軍人おじさん「子供たちが戦争なんてやっていいわけないだろ、決闘だ!」
とまあこういう感じのことを思ってしまったんだよね。
そしてまた一方ネット小説、TUEEEEのセンスで書かれた作品群が持っている別のテンプレだと思うんだけど、賛美と肯定≒否定、があって、劣等生とオルフェンズでいうと達也×深雪×その他、三日月×オルガ×その他の基本ラインのなかでまあ微妙な違いはあるんだけども「よさないか深雪」「ですがお兄様」ほど露骨な台詞回しではないけども、クーデリアに嫌味を言う三日月とかクーデリアが三日月を理解しようとするとチクリと「お前ぜんぜん分かってねーよ」をかますオルガの関係性はどうしてもこの作法を連想してしまう。いや、お嬢さんのビルドゥングスならべつにあれはあれでいいんだけど、視聴者を乗せていく手続きはあれでいいのかって。
そしてこれらのテンプレートをめぐる作用を大別してフィルムには相手を受け入れたりする許したりすることと、一方で拒絶だったり不信だったりが刻まれることになるわけです。ライトノベルのラッキースケベや決闘をめぐるテンプレートの作用は300ページ以内の一つの挿話でヒロインとの出会いや共感や設定における過去の清算などが必要だから強引にでもさらけ出されることが必要であり、揉め事を起こしたり同居したりすれば接触率は高くなり、それはキャラクターが持つ内面の複数性、お姫様が年相応にスケベだったり、外面は良いけど腹黒だったりとかそういうのが見えてくるのであり、・・・
そして2クールアニメやネット小説のフォーマットでは拒絶と不信においてスカすことがキャラクター性の強調においてそれほど不利にはならず、変化していくのを描くことが魅力になることもある。
まあちょっと気になるのは鉄華団がガンダムともヒロインとも、何事とも出会っていないようなホンに見えるってことかなあ。運命的な出会いなんてあるわけねーだろプゲラっていうクソリアリズムがコンセプトなら別にそれはそれでいいけどさ。世界から拒絶され、世界を拒絶する少年たちが禍々しい悪魔の力を手に入れたってほどでもないんだよね。クーデリアも暗殺されれば解放運動の歴史に名前が残るだろうと言われているのに「私は何も分かっていませんでした」って、これから序盤は狙われる立場なんだろうけど、ちょっともたもたさせすぎじゃないかなあ。基本設定のせいかキャラの役割がいかにも男尊女卑っぽくなってしまっている部分もあるし。お嬢さんがガチカリスマちっくで、お嬢さんとオルガが別々のエクソダスを模索するような構図のほうがいいかなあと思うけど、三日月の悪魔の力がどちらにつくんだろうとか、いや、アホっぽい展開希望はおいといて、妙に一方的なお話だなあと思っているわけです。ヒロイズムなんかより会社経営でしょ、というのも感じられて、いかにも中途半端な出来のものばかりが皿の上に投げ出される感じがして、おいしくいただくぜっていう気分にならない。
主人公たちのドラマのエクスキューズとその説得力においてラノベの公募じゃ一次も通らない水準だ。ブラックPMCで迫害されても、妙に冷静で飄々としていて、会社に腰を落ち着けまくっていて、物語を駆動するようなビジョンが特にない。アンラッキーバトルが3話の終わりっていう展開の遅さ。自分の間抜けな独断なんだとうだうだまくしたてる高潔軍人おじさんをぬっころす少年兵の歪な心……? まあクリエイターっつても自分の作家性で自爆寸前に追い込んでもメシが食えなくなるんだろうけど、シムーンやゼノグラシアからクリエイターの意識はこれくらい後退しているんだなあと。
テンプレの意味作用の話から離れてしまったか? いやまあ「決闘」というものが組み込まれるときに持つ意味作用、ジャンルや媒体においての成功度と失敗度というものがありうるんじゃないかと思ったわけで。
テンプレいじりエントリを読むと、気が滅入るんだけど、落第騎士の英雄譚ステラ(今名前調べたw)の過去回想で「まるで人が努力してないみたいに」と歯軋りするところが「かませは斧w」で笑っている人がいたけど、あれは冗談で書いているからああなんだよね? よく読み取れなかったけど。あそこのシーン一つとってもステラは自分の価値観の否定≒肯定をすでに何度も通っていることが分かって主人公とのバトルがさらにそれを見つめる契機になっているのに対してオルフェンズのクーデリアにおける主人公たちとの価値観の出会いはドヤ顔されてまごついてしまったりする(死ねば人々の記憶に残るだろうと作中で言われているような解放運動の指導者が)、というのも、一方的平面的な印象を強める。
そして今までオルフェンズつまらない落第騎士おもしろいと言ってきたわけですけど落第騎士の原作は掛け値なしにおもしろくなく55点以下であることは保障するし、アニメもこの先よくわからない展開になるのだろうし、たしか普通に学園内で天下一武道会やるはずです。いやでもアニメだとおもしろいかもしれないw 僕自身このアニメの自分の評価を検討してみてどうすりゃいいんだよと思っているけども、まあジャンルの王道をめぐって、、、と記事のタイトルはこれにしときます。
わざわざこんな文字数で書くことかとも思うが、テンプレいじりでいささか不当な扱いを受けているなあと思ってて、落第騎士の英雄譚いいですよと言っている人もいたし録画していたものを見たらおもしろくて「おいおい、アニメファンの目は節穴か」(優しい表現)っつって自分の判断基準も整理しようと書いたわけです。オルフェンズをダシにしてしまったけど、書きながら演出の戯画化の作用、というような大雑把なフレーズも浮かびました。まあ、クーデリアはステラと違って男の裸には興味がなく、顔を赤らめることもなく、同様に作り手もそのような視線を必要としていない、程度の意味です。あの異様な背中のビジュアルイメージ・・・ 性的欲求の描き方、フィルムの品格、etc,etc.
読み直したけどちょっと書き飛ばしすぎだ。何言ってるのかぜんぜん分からん。まあ、以前から気になってた川原礫やらダンまちあたりのTUEEEセンスのプロットに「これぞ王道!」(アマゾンレビューふう)みたいなテンションで乗ってる層があって、まあちょっとした設定や展開なんやらの匙加減にすぎないところなんだけど、そういう僕が笑ってしまう王道があり、アニメファンたちを笑いで包み込む落第騎士があり、そしてオルフェンズや劣等生やらそれぞれ重なりあって同じことをやっているなあと毎回結論これしかない。それを見ている人間の世界観という単純なことなのかもしれない。天下一武道会のラッキースケベに失笑することとブラック会社のアホでブサイクな大人と身勝手なヒロイズム軍人殺しちゃったりするのとかっこいいお兄様と、みんなおもしろいよね!(大丈夫だよ。俺もこれから頑張っていくから(どっかの褐色白髪の笑顔
よっしゃこれでタイトルとつながったからオチたな。
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放送も終了し、たいして話題にもならず、メディアミックスも成功したというような印象もなく、ということは、たぶん、アニメは、というか原作からしてそうで、いわゆるネット上では失笑とともに口にされ、あるいは流れ作業のように読まれるための「最近のラノベ」のひとつでしかないというのがこの作品の世評なのでしょう。実際、まともな大人が関わるにはつい半笑いになるしかないようなコンテンツなのかもしれない。ただ、何かひっかかるものがあった。作品ではなく、この歌に。全員分のソロが入っているということを知って、じゃあお買い得かなと手に取った。多くのキャラソンが主人公に対するヒロインの恋心や作中での心象風景を歌ったものとして提出されるのに対してこの曲は作品性を基調としながら、しかし主人公の存在しない領域、さらには、読者も作者すら存在しない領域でのヒロインたち自身のヒロイズムとして歌われているだけの、もうほんとただそれだけのことなのに、抗いがたい魅力を放っていて、これにはちょっと不思議な気持ちになってしまった。それは言ってしまえば、作詞家による、原作およびアニメへのアンサーであり、こうであってほしいとする祈りのようなもので、それがこの歌詞であるとするなら、なんて尊い視線を持っているんだろうと、そんなことを思ったりする。これがすごいのは、深刻なリアリズムに陥らずにヒロイズムを掬い上げているところで、さじ加減が絶妙なんですよ。MF文庫Jの、中学生向けお色気ハーレムアクションからこんなヒロイズムを抽出するのはちょっとありえないというか、卑怯w ぶっちゃけ曲解ではないのかw ヒロインたちには何がしかの目的があり、闘わなければならない理由があり、恋愛感情を持っている、そういった当たり前のことに対する眼差し、語り方、ヒロインたちの歌う、知られざる一人称のヒロイズム。僕には「最近のラノベ」について、忘れていたことがあり、さらに僕には知らないことがまだまだたくさんあるようなのだ。書かれるものの中には、くだらない、救いがたいような作品もあるのかもしれないけど、ああ、こんな眼差しもあるんだよなあと。
http://www.kasi-time.com/item-72637.html なぜこれがこんなに刺さるのかほんとうに自分でも謎です。
ちなみに、大西さんが好きです。大西さんもいまのところさほど際立った声だと感じることはないのだけど、歌声がそこはかとなくいやらしくて、ストブラのキャラソンもいいんですよ。
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それでも綺麗ごとを並べた子供向けの物語だと思う人もいるだろう。問いかけるよ。綺麗ごとを実現させようとすることの何がいけないのか。もしも挫折や失敗や嫉妬や裏切り、そういった人間的なリアリズムを経験して、受け入れることが、子供から大人になると考えている人がいるなら、それはちょっと間違っていて、ヒロイズムというのは、それらの「あとに」やってくるのである。艱難辛苦を受け入れて、そこに留まるのではなくそこからもなお輝こうとすることを語っているのである。そうしてヒロイズムは何度でも理不尽なリアリズムに立ち向かい、やがて綺麗ごとなどではなく、生きることそのものになるのである。そこにおいて重要なのは可能性と不可能性に惑わされてはいけないということ、つまり、実現されないヒロイズムに苛立ち、怒り、気づかぬうちにリアリズムの下僕に成り果てることも多い、注意すべし。リアリズムへの罠は甘美で狡猾で周到に用意されているから、ついそれが生きるということなんだと思いたくなってしまうけど、でもアイカツのような作品があれば、確かに存在するヒロイズムというものを思い出すことが出来る。
http://www.kasi-time.com/item-71696.html
物語設定や人物造形の魅力では比べるべくもないが、上でちょっと語った、「精霊使いの剣舞」の作品性の中に秘められた、語られないヒロイズムとアイカツの描いているものは、間違いなく地続きである。今 私たちをつなぐ胸の中 きらめくライン そのラインがラノベの、ラノベだけじゃない、それ以外のいまだ語られざる、秘められたあらゆるヒロイズムとつながることもあるだろう。ただ、残念なことに、私たちはいまだそれらを語るための手段を充分には知っていないということである。でも、誰しも、何かしらあるはずである。自分が道しるべとした何かを持っているはずである、きっと。あるいは、そう、たとえば、漫画原作なのに、最近のラノベ扱いを受けた「トリニティセブン」のクールなキャラソンに、その萌芽は容易に見つけられる。リアリズムに屈服しようとしないヒーローたちがいる。物語ではなく、詩や曲から、ヒロイズムの反撃は、つねにすでに(!)始まっている。
歌詞は置いてみたけど、実際に曲も聞いてみてください。このエントリ読んで何言ってんだコイツって思った人も、僕の言わんとしていることが分かると思うので。
という、あらかたのライトノベルを「最近のラノベ勢」のくだらないリアリズム趣味からガチで救済してしまいかねない超絶アクロバットをかますことによって、少しは読む価値のあるエントリになったと思います。キャラソン論から始めてこういうこと出来るのは僕くらいのもんだから!(自画自賛 (批評ってのはこうやるんだよ。(批評?
なんかこう、こんなことはすでに誰でも知っているはずだよなあって思ったりする。ツイッターはコミケの時期で、多くの人が、僕の知らない語り方や、眼差しをもって作品に接していて、昨日これを書いていて、何やってんだろってちょっと思ったんだけど、でも書きたくなったんだ。
こうして、最後に余計なことを書いて自分で自分の梯子を外すわけですけど、久しぶりに自分語りというか、実際のところそうなるしかないのが僕の文章であり、こうして声優ベストとか選んでるだけでふとこういうことを書きたくなって、ちょうど頭の整理みたいなことにもなったので、ちょうどよかった。何言ってんだコイツと思った人にも、ちょっとざわつくようなとこに向けて書けていたら、嬉しいのだけど、どうかなあ。なんせ「精霊使いの剣舞」だものなあ。もちろん普通に読んでくれた人もありがとね。
1年ぶりの更新だから謎なこと言い始めてますが……。ひとまず、アディオス! つまりさようならってこと。
2013年オブジイヤー
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すっかりオタ界隈にどっぷりのウニゾンの中の人がキャラソンをガッツリ男女問わず手がけているんですが、基本的にはウニゾンとそう違いのない手数多め、展開多めのポップロックで編曲に色んな人つけて、それを声優さんの表現力で歌うと本家ウニゾンよりもいい具合のケミストリーが生まれて、すごい楽しめる。似たような雰囲気の曲が多くて、これで歌手が一人だったり同じやり方でもう1作2作手がけたら確実に飽きると思うけど、クリエイターのネームバリューと声優の表現力に依存してるようなタイプとは一線を画したキャラソン集になってる。私はどちらかというと男性声優のはスルーするタイプだけど、梶くんとか、色っぽく歌ってて、いいなあと。
蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-「Blue Field」キャラクターSongs
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- 作者: 山田風太郎,田島昭宇
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去年の北方謙三に続いて、時代小説を2年連続でベストに選んでしまったぞ。果たして僕はどこに向かっているのか。
- 作者: 諫山創
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ドラゴンボールって今のオタクカルチャアから見るとちょっと浮世離れしているというか、ジョジョとか同時代のやつと比べると実作の部分での影響ってあまり語られることがないのだけど、人造人間編でトランクスとセルが未来からきたことによって違う形の現代になってしまったっていうとこで、読者を振り回してた部分は単行本にすると1巻分にも満たない話数でSF的なネタ振りとハッタリをきっちり回収してまた新しい目的(セル完全体阻止)にもっていって、さらに人造人間たちが見せる人間的な部分とクリリンの戸惑いと恋愛感情みたいなものをバトルと平行して見せながらピッコロの常識的態度やベジータのサイヤ人美学とか、緊迫したバトロワ状態でセルは完全体になって「ああ、どうしてこうなった」っていう部分で、やっぱドラゴンボールってすごい漫画だったなあと。めちゃくちゃエンターテインしてた。
さりとて進撃の巨人はというと利己的なキャラクターたちに延々と腹の探りあいやらせて意味の強い言葉と顔の表情をおどろおどろしく強調してれば何かしら高級感が得られると勘違いしているのか、さらにプロットも進まずに唐突な事態とその回避を繰り返して引き伸ばすばかりで世界設定の寓話性も完全に霧散して、まともに物語をやるにしても閉じた作品世界がそれに適してないからひたすら迂回するっていう。
素朴な問いで、12巻かけてこれまで何が描かれたの?って思うんだ。ドラマを描けなくて、ひたすら相互不信を煽りつつ、読者視点である主人公は特別ですよ〜って幼稚でアホらしいなあって。まあどんだけ編集サイドと宣伝マンたちが仕掛けてこようが、書かれていくものはその人たちの精神性みたいなもんがにじみでるもんだと思っているので、世界設定の本筋みたいなもんはそっちのけで一方的に被害者ぶったり突然イキがったりするそういうクソなスタンスでそれがウケているんだなあと。
おそらく中高生の読者も多数いると思うけど、思春期に読むこういうハードな漫画()に彼らが期待するのは、いわゆる少年漫画的な寓話性から脱した近代的主体へのアプローチ、もしくはある種のぬるさから卒業して大人ぶりたい年齢の世代が期待しているのは自分の世界観とか人格形成にまで影響あったかもって、後々年食ったら思えるような作品になることだと思いますが、そういうのが感じられないんだよなあ。まあ金かけて作られたアニメでオタクにバカ受けしたことから察するに消費に最適なオタク向けの漫画でしかないのかなあとも思いますが。
しかし、この漫画のページからにじみ出る作者の肥大した自意識ってか、すごいことやってるって思われたいオーラみたいなのが作中の底の浅い人間観と絵の下手さも相まって気持ち悪くて、いい加減キレそうになって、だからワーストw
まあなんでこんなにdisったかというと以前作者が「世界に対して復讐したいって気持ちで描いてる」とか言ってるインタビュウを見てしまったので、だから余計に貶したくなったw
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何も言うまい。いやーしかしスターアニスではなくて声優本人が歌っていたら、ほんとうにどうなっていたのか。革命……。
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マジョノマンコカマンベール!、マジョノマンコカマンベール!(べべ語による挨拶
劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語というおもしろいアニメの映画がある、という話を聞きつけたので、一昨日の1000円デーで見に行ってきました。一日置いて、咀嚼してきたので、感想などを。感想というか、タイトルにつけた試論的なものを。
世界改変および時間的ループ構造を取り入れた作品は、不可避に、あるいは逆説的に(?)時間を失うことになるのだなあと、まどかマギカの世界は、この世界の外に、永遠の現在として閉じている。そこには誰も逆らうことのできない真理のようなものがあり、ゆえに不思議な静けさに包まれた世界があるかのようである。
何がいいたいかというと、相変わらずめんどくせえアニメだなってことですよw というか、ある意味ではほむらがおもしろすぎたw 何なんだよアイツw 最後のほうのほむらとか劇場で笑いが起こってもいいはずなのに、みんな深刻そうな顔して真面目にアニメ見やがって!w
一言で言うと、苦手だったTV版とさほど印象は変わらず。でもほむらだけは、ボケ倒していて楽しかったですね。
よく、まどかマギカは先行作品のパッチワークやらのどうたらこうたらというような、ジャンルのお約束がどうたらこうたらというような語られ方をする。しかし、そもそも、一番最初から魔法少女がどうこうなんてものは、全て嘘である。虚構であり、全部間違っているのである。そんな語られ方をされるまでもなく、魔法少女なんてものは、ダメなのである。まあそれが言い過ぎならば、魔法少女は寓話であって、その寓話は、華麗で可憐で壮大な意味作用が与えられているのだ、と言い換えてもよい。
いささかうんざりするような、やや唐突に、弁証法的に繰り出された世界改変に則って、この劇場版でもまた新しい「永遠の現在」が現れて、一応のフィナーレということですが、うーん、僕が見たかったのは弁証法の更新ではなくて、そこで繰り広げられるであろう衝突のドラマだったので、それを期待していた分、まあ。素敵空間ではあるんだよ。それが特にシナリオ自体とは関係なさげな素敵空間ってだけで。さらにキャラに萌え的な愛着もないので、総合的には、うん。
作品としての意図がどうであれ、この作品には「他者」が欠けているように思われる。「他者」がいない、というこれ以上ないほど陳腐で紋切り型の批判の文言だが、事実そのように思われる。作品の意図がどうであれ。「他者」との出会い、そこに生まれる亀裂、敵意、合意、妥協、その不可能性、それらとの戦い、あるいは脱出、なんでもいいけれど、それらの印象が希薄なのだ。しかし、それは作品の疵ではない。
たとえば、見せ場のひとつであろうほむらとマミさんのアクションシーンという、このフィルムの中でのひとつの決定的な事件のあとで、その戦いを演じた本人たちが何かしらの対立の構図の変化や、合意や妥協を得ることはない。それぞれがなぎさとさやかに連れられて説明を受けるだけである。そして、その戦いの決着というか、落としどころも、妙にぼんやりとした、マミさんのスーパーイリュージョン的なトリックによって閉じるので、どちらかがどちらかに何事かを刻み付ける、というようなものではない。ファンサービス的なものらしいですが、二人とも雑魚いイメージだったので、こいつらずいぶん強くなったんやなというほうが強かった。みんなそんな見方してたの? てか絶好調の時のマミさんてw ついさっきまで仲良く茶をしばいてたほむらが全力で仕掛けてきてもまったく動じない鋼のメンタル! 皮肉すらかますあの余裕! マミさん、豆腐メンタルなのか、どっちや!w
好意的に見れば「すれ違い」によって事態を進展させていく作劇、というような言い方もできるけど、でもフィルムの中では各キャラクターは何度もイチャコラしまくってて、それを強調もしてるので、あんまりすれ違っている印象はない。会話がタルいというか、キャラの関係性ではない部分でぎくしゃくしていると感じる瞬間はありましたが。
そして、ある程度の種明かしのあと、ほむらの救出のためにキャラクターたちが総力戦を繰り広げるというサービス満点の感動的なアクションにおいても、それがほむらにとっての決定的な他者との対話になることはなくて、「輝きを待ってた〜♪」(μ's)じゃなかった「この時を待ってた!」と何かよく分からない謎パワー(愛!w)でもってまどかを円環の理から引き離すわけじゃないですか? 「世界がどうなったっていい!綾波だけは、絶対に助けるッ!!」というシンちゃんばりのダークなヒロイズムですよね。というかむしろあそこでは文字通り「囚われの姫君」であったのはほむらのはずなのに、みんなが迎えに来てくれたと思ったらアレですよw ほむらおもしろすぎるでしょw 「ここでボケて!」→「この時を待ってた!」あそこは炸裂してましたねw なにが?って突っ込まずにはいられない。いやお前待ってたっていうか、そうすることを決めたのって今さっきだろw ほむらさんノリノリすぎんよ〜w たぶんテンション高まって勢いで言うてしもたんやろなあ。
いちおうのメインであるほむらとまどかは、二人とも相手のことを勘違いしながらお互いを大事にしているような儚い印象を与えて、そこは萌えるのですが、あれは脚本の要請がお互い人の話を聞いてないように思わせてしまっていて、お互いがお互いにとっての決定的な「他者」となりえていない。だから演出で徹底的に補強されている。文芸面での説得力のなさはたぶん虚淵脚本の少女的なるものに対する嗅覚の弱さかもしれないと思います。あるいは僕自身のそういったものに対する嗅覚のなさ。さらには、まどまぎワールドおよび現在のオタクシーンが抱える少女的なるもの、その彼女たちの世界観への過剰な期待、という共同幻想っぽい何かがその説得力のなさを際立たせているように感じられます。ほむらとまどかが主人公であることを知っているのは私たちだけである。「他者」がいない? まさか。
ほむらは言う。「この時を待っていた!」と。ほむらは待機する。ほむらは待つ。ひたすらに待つ。その機会がやってくるのを待つ。そしてその瞬間が訪れるや否や、ほむらは一切をかなぐり捨てて反応し、行動する。まるで入力されたプログラムを実行するシステムのように。つまりは、この映画は他者との出会いと衝突のドラマではなくて、他者との接触の待機とその機会の物語ということなのだろう(ほむらのキャラクターに与えられた特性であるループ構造の、繰り返すことの姿勢もそういった「待つ」という態度も含まれている)。そしてあのおもしろいセリフは本質的にはほむらが言ったのではなくて、フィルムそのものが「この時を待っていた!」と叫んだと考えるのが妥当である。あのフィルムは待っていたのだ。何を? 機会の訪れを、おそらくは叛逆のための? だとしたら、何に対しての? たぶん、作品世界そのものに叛逆するために。
ちょっと暴論過ぎましたかね。まあほむらは基本的にまどか以外はアウトオブ眼中なところがあるので、まどかがあのお花畑で「守られてばっかりは嫌やわ、ウチも守りたい!」とかつってたらそんな感じのことができる世界改変をしてたんじゃないかなあと思いますが。(声優違う
たとえば、ヱヴァ破ではシンジのヒロイズムのせいで本当に世界がぶっ壊れてしまったわけですが、ほむらの場合は世界がどうとかあんまり関係なかったようで、平穏な学園ライフを辛気臭い顔しながらも送れるみたいで、よかったねって思う。あの新世界、ヘンテコな妖精(使い魔?)とかいっぱいいて楽しそう! あの終盤のスカしたほむらは内心ちょっとビビッてて、なぜってあそこはまだダークヒーローになったばかりのド新人であるから、わざとダークヒーローっぽく振舞ってる、いわばバットマンでいうところの「イヤーワン」の状態なわけじゃないですか? たぶん頭の中でどうやったら悪く見えるか考えながら喋ってる。あのわざとらしく通学路の真ん中に置かれたティーセットを見よ! やはりほむらはおもしろい!
仮タイトルは「やはり私の青春魔法少女ライフは間違っている」あたりでしょうか。やってることはアレのはちまんと一緒で、結局のところ、ものすごい壮大なかっこつけなわけです。また同様に、教室というシステム(学園ラブコメ)≒魔法少女が維持できるシステム(魔法少女ジャンル)そのものをぶっ壊す!、みたいなイマージュにはわざと到達しない。ちょっと不満なのはそういうところで、あの世界は魔法少女の寓話といじらしいハードボイルドニヒリズムを両立させるための舞台設定を整える程度の意味しか持っていないように感じられる。それはつまるところ、そういったヒロイズムを成立させている「この世界」、ある程度の現実との連続性を持つ世界、みじめったらしいこの現実の世界の出来損ないを再生産したにすぎない。
あの新しいシステムが、ひとまずは作品世界の真理、あの世界を成立させうる条件として提示されていることになる。だから、その真理の空間の中での超越性の獲得が、一個の到達点、終わりの場所、完成の場所として、受け止めることができる。もしあそこからまた続編があるなら、神と悪魔の黙示録が展開されることになるだろう。
だが、しかし、本当にそうなのだろうか? その真理の空間で彼女たちは自らの愛憎、友愛、共感、反発などのすべての感情を本当に自分のものとして手にすることが出来る。本当にそうなのだろうか?
叛逆してほしかったのはそこなのである。 その作中世界の真理をぶっ壊そうよ。こう書いてみるとめちゃくちゃ安っぽいけどさw 現実的な世界精神を持った真理があって、その真理の内部で神と悪魔が「殺し愛」なわけでしょう? でもそれってあまりにも普通でしょう? 神がいて悪魔がいて、一種の神話的な意匠を与えられた世界って、ごく一般的に共有されている世界観なわけでさ、いずれあの世界ではほむらとまどかが衝突することになるだろうって、それくらい当たり前じゃないかって思うんですよ。
世界を改変した作品は時間を失うことになるのだなあ(大意)、とはじめに言ったけど、つまりはあの作品世界は有限性が強調されてある。あの世界には外部を持つ超越的存在がいない。その作品世界に降りてきているから、神だろうが悪魔だろうがインキュベーターだろうが有限に囚われているのである。実際に干渉してあの世界を規定してしまっているのだから。そういった世界の語り方でもって、誤解を招くことを承知で言うといわゆる虚淵的な「ヒロイズムの否定」のひとつのやり方がもう一度提示されたのである。ここで言うヒロイズムは僕がいつも茶化しているネタとしてのヒロイズムではなくて、本当の意味で使うべき、この世界を貫くようなヒロイズムの意味でね。これは優劣の問題ではなくて、弁証法としての立ち位置が違うわけです。
唐突ですが、ときおり創作論などで言われる、村上龍だったかの言葉で、「物語には穴に落ちて、そこから這い上がるかその穴で死ぬかの2種類しかない」というこの極端な言葉に従って言うと、この映画だとまどかが円環の理になっていることが穴に落ちた状態で、今度はほむらが自分が落ちるかわりにまどかを穴から這い上がらせた、というような印象を残すけど、それは解釈の前提が間違っていて、あのオチでようやくあの二人は穴のある場所に一緒に立つようになったような印象。
僕は元々円環の理というシステムそのものがあの作品世界の陥穽であると思っていて、TVシリーズのオチを受けてのお話だから、それを覆して、映画のあのオチ。
あの世界では魔法少女の異能アクションが成立するのは、エントロピー回避のためでQべえが発効しないとだめなわけでしょう?(正直設定理解してませんが) そもそもまどまぎ世界は思春期の少女の希望と絶望の相転移()で生まれるような敵しかいなくて、魔獣とやらもよく分からないままじゃないですか。結局どこにも連れて行ってくれないわけじゃないですか? あのオチは作品世界をごく一般的な、プリキュアやらなんやらのバトル系魔法少女のモノに近づけたってだけの、ちょっと生ぬるいオチで、そこがアカンなあって思ったんですよ。もっとこう、魔法少女システムと魔獣システムの根本的な原理の衝突とかのほうが燃えるし、そこでキャラ厨カプ厨的なドラマを成立するのがやるべき仕事じゃねえかって。
実際のところ、多くの人が魔法少女モノから特権として読みとっているものは、ずいぶん空虚なものが前提で(子供のための慰み、大きなお友達etc)、それに壮大で華麗な意味を与えようとしてきたのではないだろうか。本当に叛逆しなければならないものは、その華麗なビジョンは空虚であると、そのように私たちに思わせている何者かではないだろうか。その空虚さに満ちた真理の空間の重力にこそ叛逆しなければならないのではないだろうか。そこまでの示唆はこの劇場版では受けることが出来なかったけれど……。
個人的には、ほむらの魔女結界の中で描かれているフィルムのもたらす感覚が、一番しっくりくる。あそこでは、描かれている絵面そのものが清濁を併せ持っているから。ほむらが魔女の結界の中で見ていたあの世界は、ほむらが夢見ていたのではなく、フィルムを見ているこちら側の私たちが夢見ていた世界である、というのは別に暴論でもなんでもなく、誰でも納得できるだろう。だって本当にほむらが夢見ている世界なんてさw まどかと自分がうわ何をするやめろってなもんですよw 絶対おもしろワールドですよw
ほむらいじりはさておき、作中では、あれは否定される。否定というか、「これは現実ではない」として、避けられる。メタ的には、ヌルい二次創作願望充足で塗り固められた世界である、というわけだ。でも、あの光景って本編のオチで示された世界よりもはるか先にある光景だなって思うんですよ。弁証法の果てにある世界の光景、魔法少女という寓話の世界。華麗で可憐で壮大な意味作用が与えられている「だけの」世界。魔女の呪いの意匠が施されているためか、変身シーンではことさらに、怪しく危険な雰囲気で演出されていますが、それはいずれ来るべき世界のあり方として妥当で、誠実だと思える。怪しく危険な力を持ち、可憐で勇敢であること。それが本編の意味作用と切り離された瞬間、序盤の30分間はこの世界をつらぬく矢のようにして、存在する。そして、ほむらの世界観から離れたさやかがヒーローのように現れる瞬間にだけ、このフィルムは世界を貫く矢のように存在する。これはレトリックではなくて、ただの事実である。ほむらか、まどかか、さやかか、杏か、マミさんか。誰がどんなものに成り果てようが、彼女たちの役割はなんでもいい。神でもいいし、悪魔でもいいし、ヒーローでも、囚われの姫君でも、かばん持ちでもなんでもいい。本編のあのオチの後ですらいつか誰かが活躍して、先にあげたシーンと同じような、しかし異なる別の光景を繰り広げるだろう。誰もがそうなることを心のどこかで予感しているはずである。それこそが一度語られた物語が持つ本質的な作用である。
その点において、まどかマギカはこの劇場版でもってようやくひとつの寓話になる準備を整えることができた。私にとってはそういう映画だった。というか、魔獣がいる世界なのだから、そういうのって可能だったはずだよなあって。もうナイトメアが魔獣でいいんだよw 愛の力で世界を書き換えられるような世界なんだからさw ほむらが作った世界は、ほむらが魔女の結界の中で夢見ていた世界と、似ている。その差異の中に、重力から解き放たれた天使たちの空間を呼び込むことが新しい仕事になるだろう。
なんか投げやりになってきたので、この辺で。マジョノマンコカマンベール!(別れの挨拶
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BLEACHの説話 現代学園異能から遠く離れて あるいは井上織姫の眼差し
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ブリーチの作中でもちょくちょく「なぜ戦うのか?」みたいな問答を色んな立場から言わせたりしているのを一気読みして分かったっていうのが自分の中で大きい。去年の終わり頃からジャンプ読んでて、卍解奪われる辺りからだったと思うけどまだそこだけでは全体像を掴めてなくて、一護の出生の秘密とかやりだしたからツイッターでも「因縁話ツマンネ」とか書いてたりもしたんですけど、最初から読むと作家が描こうとしているもの、もしくは立ち向かっているものがしっかり見えてきたというか。最終章の序盤ではサブキャラに戦争とはなんぞやみたいなトークをさせたりしている。
これまでは、ルキアが連れていかれたので助ける。織姫が連れていかれたので助けるという大枠の目的がありましたが最終章はそういうヒロイン救出のためではなくて、ブリーチ世界そのものが敵というかあの世界での歴史設定の結節点としての大戦争をやらかすというので、非常に燃えます。つまりは、明確な動機を持たない状態で、「戦争のあるこの世界で少年漫画の主人公はどうあるべきか」という。
まあそんなことを思ったから単行本で読んでみようと思ったわけなんですが、うん。もちろん最低限の動機設定と構図は作ってあって打倒するキャラクターは明確に存在するのだけれど、血沸き肉踊る戦闘を演じて倒せばいいというものではない。ブリーチが立ち向かおうとしているものはもう少しややこしい。
ブリーチってソウルソサエティ編まではおもしろかったよなあ、という良心的な少年漫画ファンの意見を仮定してみよう。落ちモノヒロインと学園異能のお化け退治を経て、罰則として連れて行かれたルキアを助けるために仲間たちと一緒に乗り込んで、強敵を打ち破り、奪還を果たす。子供の意地を貫き、大人たちを倒す。まあ意地悪な読みですが、なるほど、よく出来た説話である。全22巻くらいか。00年代の佳作の中に数えられたかもしれない。でもブリーチはそうはならなかった。
こいつらがなんで戦ってるのか分からない、という原理的な突っ込みをいかにして回避するのか、というのが現実世界を舞台にした多くのフィクションの課題だった。近現代の世界観は「別に戦ってもいいし、別に戦わなくてもよい」という抗いがたい圧倒的な自由環境の中にあり、現実世界に準じた作品世界もその「別に戦わなくてもよい」という立場を不可避に獲得してしまうので、キャラクターたちが戦わなければならない事を読者に説得するのは非常に困難であった。
たとえば、シャーマンキング。ブリーチと同時期に連載してたこの漫画が「異能バトルって結局何なん?」っていう問いかけの袋小路に入って空中分解したその路線をブリーチが継いでると言っても、誰も信じないかもしれない。「やったらやり返される」というフレーズで端的に示されるシャーマンキングのテーマは漫画の枠組みを超えて読者にもアクチュアルに響く射程を持っていた。でもちょっと意地の悪い読みするとそんな問いかけってほとんどの読者にとっちゃどうでもいいことである。バトルモノ、冒険活劇モノで名作とされている少年漫画は基本的にはこの問いかけをスルーしてもいいように構図を作っていて、読者にもそういうふうに受け止められている。うしおととらなら、成長物語にしよう、主要登場人物たちが背負ったドラマにオトシマエをつけよう、ダイの大冒険なら、世界設定を一巡りしながらキャラクターの成長もそのテンポに合わせて見せていこう。読者はなんらかの近代的な規範をそこから読み込む。シャーマンキングはそこをアクチュアルに捉えようとしすぎて、何をすれば回答が出せるのか作者も分からなかったから中盤から迷走を始める。
- 作者: 武井宏之
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そして、聖闘士星矢。この漫画が神々たちの内戦である、というのは論をまたない。現にまさしく、そのように描かれているのである。アテナの、ハーデスの、ポセイドンの、それら神々の神話を少年漫画の異能バトルの説話として再生しているのである。そこではなぜ戦うのかと問う必要はない。少なくとも、現実の位相に近い場所でそれを問う必要はない。聖闘士星矢とは神話である。
ブリーチを読む上で一つ注目すべきことは、いわゆる現代学園異能としてスタートしたということである。ブリーチの特異は、そのスタート地点から大きなクエスト毎に戦いの行われる位相をスライドさせていったことである。現世からソウルソサエティ、そして虚圏、それらは単なる物語の中での場所の移動ではなくて説話としてのあり方が変形しているのである。たとえば、説話の変形という意味ではワンピースは新世界というそれまでの冒険とは異なる新しい説話の舞台を用意した。少年漫画では設定に凝った作品以外では現実なら現実世界、ファンタシイなら一つの架空の世界を舞台にしている方が多いと思われる。ワンピースの新世界もひとつのファンタシイ世界に含まれていることを考えれば、説話の意味作用の移動の激しさはブリーチのほうが徹底している。世界設定の上では、現世とソウルソサエティは完全に別の異界として存在している。まさに「あの世」なのだ。
作品世界の舞台が連続性の中にあるのか、それとも無いのか、という問いにおいて、ブリーチは後者である。作品世界が連続性の中に置かれていれば、「なぜこいつらは戦っているのか?」という問いを回避できる。それに堪えることが出来る。RPGのような剣と魔法の世界が舞台なら「そこはそのような世界である」という連続性の中に置かれる。ワンピースもナルトもハンターハンターも基本的な世界設定は連続性の中にある。その妥当性はともかく、あれらの世界には連続性がある。さらにもう一度強調しよう。ブリーチは現代学園異能としてスタートした。そこに世界の連続性はない。
ブリーチが何か妙なことを始めるのは、破面編からである。良心的な少年漫画としての体裁を維持できなくなったバトル漫画として、上記にダラダラと書いてきたような課題と格闘を始めることになる。聖闘士星矢のような神話的な説話と、現代異能としての現実世界の連続性との葛藤という。
異能バトルっていうのは、つきつめると何も参照する規範のない荒野での殺し合いになるわけです。つまり、冥界、魔界、地獄、天国、という。シャーマンキングの「やったらやりかえされる」というのは現代社会の「別に戦ってもいいし、別に戦わなくてもいい」という近代的規範を剥ぎ取ってその冥界、魔界、地獄、天国の掟を現代にスライドしたときに何が起こってしまうのかっていうのを真面目に考えることだった。そこには宝探しのミッションもなければトーナメント方式の大会もなければバトルロワイアルもないのである(あらゆる構図が失効する)。だから、ブリーチにもまずは構図が要請される。
ブリーチに出てくる護廷十三隊とは、ソウルソサエティという異界の中で作られた統治機構、治安維持部隊である。そのことに注目しよう。破面編のボスキャラ藍染は、元々そこに所属していた。このことに注目しよう。藍染と一護は「別に戦ってもいいし、別に戦わなくともよい」のである。このことは作中のセリフでも言われている。連れて行かれた織姫を救出しさえすれば近現代の規範の中にきれいに納まる。藍染の起こしたテロは護廷十三隊という治安機構が解決すべき問題なのだ。
藍染がやろうとしたことは、統治機構に対する暴力革命によって現世とソウルソサエティの新しい世界のあり方を示そうとしたんですが、そのために色んな連中を食い物にしてきて、まあその因縁話を絡めてダラダラと「やったらやりかえされる」という世界観を異能バトルで描いてきた。そして、藍染も霊王という高次の存在に対して反逆を試みていたことが示唆される。つまり藍染は今の世界のあり方が気に食わなかった、それを作った連中に「やり返そうと」したのだ。
だから破面編は結局のところソウルソサエティの内戦であり、破面の連中っていうのは藍染が連れてきた傭兵にすぎないと。だから、死神と十刃の異能バトルがどれだけ格好良く描かれても、そのお互いの関わりの無さにおいて不毛としかいいようがないのである。だが作者はプロットの崩壊を招いても徹底的に死神と破面の総力戦への拘る。それは異能バトルというジャンルへのフェティッシュな自己言及である。「このキャラはどんな能力なのか」「このキャラとこのキャラはどちらが強いのか」という幼児性を帯びたフェティッシュがキャラクターの総力戦としていちいち描かれるのである。
そして、「やったらやり返される」という異能バトルの不可能性を突破する、もしくは破壊する存在が必要になった。それはもちろん主人公である黒埼一護である。彼は「別に戦ってもよいし、別に戦わなくともよい」という近代的な規範を無視して少年漫画という神話の中で狂った英雄として振舞うのである。グリムジョーやウルキオラや藍染の抱える不可能性と虚無はことごとく一護によって理不尽に曝け出され、頓挫し、崩壊する。ウルキオラ戦などは顕著である。「こんな勝ち方があるかよ」と暴走状態でウルキオラをフルボッコにして一護は理不尽に勝利してしまうのである。
そして最終章の千年血戦編も同様に主人公としての特権性を与えられている。
ブリーチの作品世界において、「死神」と「クインシー」は同じことをやっている。このことに注目しよう。現世でのバランスを維持するためにはホロウを退治する必要がある。しかし死神とクインシーはやがて違う思想を持つようになり、なにやら大昔に死神とクインシーは戦争になって死神が勝って、現在の統治体制を作り上げていった。このことに注目しよう。
見えざる帝国はかつて死神に滅ぼされたクインシーたちの末裔である。作者は愚直に「やったらやり返される」ことを引き受けようとしている。
ブリーチのクエスト毎のスライド。落ちモノヒロイン現代学園異能から、統治機構への殴りこみ、攫われたお姫様の救出、自身の出生の秘密を知り、異界の内戦に対して明確な動機のないまま首を突っ込むという。戦闘の規模の単純なインフレーションと平行して主人公の一護は霊感の強い少年から、神話の中の登場人物へとその存在における語られ方の位相を変えていくことになるのである。
最終章は今のところ「死神」と「クインシー」の1000年の因縁である。それでも、襲撃を受けるソウルソサエティの死神たちは一護が来てくれることを切望さえするのだ。それが英雄でなくてなんであろうか。破面編におけるグリムジョーやウルキオラのような主人公との因縁を持つキャラクターは配置されていないが、その代わりに出生の秘密がある。文字通りの神話的な、その世界において唯一無二であることの意味づけとしての秘密が与えられている。
ブリーチは現代学園異能から神話的な説話に飛躍することによって近現代の課題を振り切ろうとする。
- 作者: 久保帯人
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ブリーチ一気読みして思ったのは井上織姫ちゃん、嫌われるやろなあっていう。でもなぜ織姫ちゃんがこんなに嫌われそうな女の子として描かれなければならないのかって考えたときに少年漫画や少年性少女性やヒロイズムの性差とかが浮き上がってきてそれらの衝突の場が生成されていて、それらはまあテーマとしては昇華されてないけど読んでてすごくおもしろいことになっているなあと。破面編が終わってるんでもう織姫ちゃんがフィーチャアされることはもうあんまりないというか衝突の最前線に出てくることはもうないのだろうけど作者がその異能バトルにおぼろげに見出そうとしているもの、少年性少女性やヒロイズムの性差とは、みたいなものに迫りつつあったんだなあと。
織姫ちゃんの世界規模での嫌われっぷりはつまるところ、圧倒的に反時代的であるから、ということなのかなあと。もちろんそのようなあり方だからこそ素晴らしいという立場もあるのだけど、まあ少なくとも現代の先進国の価値観において井上織姫に憧れるというのはいささかしんどいというのはほとんどの読者が(とりわけ女性ならばなおさら)実感として持ってるだろう。さらに少年たちの決闘の神話の中に少女性を振りかざしながらしゃしゃり出てくるならなおさら鬱陶しい女だなと感じることだろう。
読者の欲望に応えるのはユースカルチャアの課題の一つである。女性キャラクターは女性読者が「あんな女の子になりたい」「あんなふうに活躍したい」「あんなふうに男の子に思われたい」という気持ちにさせるのがまあ、理想的であり、一般的である。(BLは守備範囲外です)
破面編の織姫ちゃんって一体なんだったのかっていうと、まあなんだか分からないけどエントロピーを拒絶して神の領域を侵すレベルのとんでもない能力を持っているらしくて、なんか胡散臭い白っぽい奴が妙な話を持ちかけてきて、自分の陣営に引っ張り込もうとする。なんか最近のアニメでもそういう奴がいたなあと。みんな分かるだろう、完全に魔法少女なんですよ、破面編の織姫ちゃんは。でも、ブリーチはニチアサでもなければ深夜アニメでもなかった。少年ジャンプだった。作者が久保帯人だった。だからそこでの衝突が起こった。
少女であることの特権、観念として高められた、少女的なるものの正体を、作者は井上織姫というキャラクターに託した。お姫様であること、魔法少女であること。聖母であること。実際、織姫は破面編で学校の制服からロングドレスへと衣装チェンジするのである。あの白いドレスは囚われの姫であることを示すと同時に魔法少女としての衣装でもあるのだ。
この世の理を覆す魔法少女であることと囚われのお姫様であることを託されているキャラクターはそりゃ破綻と一緒にいるしかない。そして井上織姫というキャラクターは生々しい女の子としての欲望も持っていた。魔法少女としてヒロイックに決断したはずが王子様である一護にキス未遂したり、グリムジョーみたいなイケメンにちょい絡まれ、ウルキオラの虚無の中に心を見出す。さらに「助けて黒崎君!」と叫べばヒーローの一護が覚醒する。そりゃあ女性読者は激おこプンプンドリームである。もちろん男性読者も織姫うざい派が多いけど。しかしそういう織姫の役割は作者の中で少年性と少女性が衝突した結果なのである。久保帯人の場合は圧倒的に少年性の側に比重があるからああいう展開になる。たとえばウルキオラにボコられた一護が瀕死の状態でもグリムジョーとの決闘のために「治せ」と脅されるシーンはちょっと読み方を変えれば少年性が少女性を蔑ろにしているということになる。自分の持ってるすごい力なら一護を治せるけど治したらまた戦って瀕死になるだろう。好きな男の子には傷ついてほしくないっていうごく普通の健気な少女性を男性キャラクターたちの少年性とエゴイズムで塗り替えられ、自分の能力で治ったヒーローがズタボロになりに行くのを黙って見送るという。けっこうひどい話だったりする。さらに、一護とウルキオラの決闘はもう二人の騎士によるお姫様の奪い合いの構図で、作者もそういうふうに見えるように描いている。作中の誰も織姫を魔法少女として見てない。藍染もなんか突然「もう用済みだ」とか言い出すしw
織姫のトンデモ能力なら藍染の野望を阻止できるどうこうで破面側でちょっと内紛みたいなことやろうとするはずなんだけど(織姫の力で崩玉をどうこうするというプロットは放置されたのです)、久保帯人はそういう少女のエゴイスティックな自己犠牲とかを信用してない、もしくは興味がなかったw ブリーチがやったことはお姫様を見届け人にした騎士の決闘であり、そのお姫様の叫び声で覚醒する英雄であったという。
結局、久保帯人は織姫の魔法少女としてのヒロイズムを御しきれずに強引にスポイルした。少年たちへの同化を志向さえしているのですが、まあそこまでは踏み込まずともよい。
フィクションに対するよくある批判で、作者の理想を投影していて気持ち悪い、というものがある。
井上織姫は、作者の思う少女の理想形であり、そしてその理想形を描こうとしたがゆえに破綻を呼び込むことになったのである。そして説話の中で発現したのは魔法少女のエゴイズムとヒロイズムを抱え込み、ウルキオラの抱える虚無を「怖くないよ」と手を差し伸べ、包み込む聖母であり、その悲鳴で王子を覚醒させることの出来るお姫様である。それらはことごとく作者の要請する少年たちの輝きのための引き立て役として存在させられていた。
それでも、井上織姫が作中の中で見つめる眼差しとその対象は、作者にとって必要だった。そのような眼差しを持つ少女がいることを自分の作品の世界観に要求した。それを実行した。どのような形であれ、「やったらやりかえされる」荒野での死と闘争に対して何がしかの栄光と名誉を与えようとするものが必要だった。今風にわかりやすく言えば、「絶望で終わらせたりしない」である。ただそのような眼差しは、まどかマギカのそれとは違って、魔法少女の超越性から放たれるのではなく、作者によって少年たちの死闘を見つめさせられ、井上織姫というキャラクターを魔法少女としてスポイルしたあとに残った少女としての立場によって獲得された眼差しである。
少女のヒロイズムとは一体なんなのだろうか。男と同等であることだろうか、純粋で無垢で愚かで短絡であることを貫くことだろうか、魔法少女であり、聖母でありお姫様であることだろうか。その問いかけに作者が提示した井上織姫は愚かしいほどに反時代的である。
近年のメジャー作品においてここまで徹底して反時代的な少女性を背負った女性キャラクターとして練り上げられた存在は、私の知る範囲では井上織姫だけである。(同傾向としてかろうじて連想するのはSAOのアスナであるが、織姫に比べると、その背負わされた象徴性は大したことはない。せいぜいがトロフィー扱いだ)
井上織姫というキャラクターは、明らかに作者にとって特別な存在であり、少年たちとは異なる眼差しを与えられている。今の長期休載に入る直前のジャンプに載っている話で、井上織姫は次のようなことを言う。虚圏での、特訓の幕間にあるセリフである。
「でもさ、こんな風に人間の私たちが虚圏で普通に過ごしたり、破面の人たちを助けたり 死神の人たちのために頑張ったり こういうのなんかいいなあって思って こういうのがずっと続けばいいのになって ずっとみんなで助け合って お互いの世界を大切にしあって そのままずっと戦いなんて始まりませんでしたってーー」
そして次のページから見えざる帝国によるソウルソサエティへの侵攻が始まる。
内戦状態における二つの陣営の総力戦。その中でひたすらフェティッシュに溺れながら不毛な異能バトルを続ける妄執こそがブリーチの作品性である。少女性によって語られる戦争のない世界というユートピアへの夢想は久保帯人においては否定されるために置かれるのだ。