オッサンラノベの最先端、『魔法科高校の劣等生』についての覚書

魔法科高校の劣等生〈1〉入学編(上) (電撃文庫)

魔法科高校の劣等生〈1〉入学編(上) (電撃文庫)

そこそこ有名な小説で、『テロリストのパラソル』という全共闘団塊世代のオナニーがマッハで炸裂するハードボイルド小説がある。どれくらいマッハかというとアル中の四十男が自分が学生の時に付き合いのあった女が生んだ若い娘に惚れられるというくらいマッハ。学生時代に好きだったあの女はさっさと結婚して子供作ってるのにこっちは冴えない独身中年男、しかーしなんとなんと、彼女の娘(二十歳)が、という。でもハードボイルド小説だからストイックなんですよ。なぜか微妙に上から目線なんですよ。
あるいは、そこそこ有名なアニメで、ダーカーザンブラックというハードボイルドアニメがある。ヘイという青年が主人公で、このキャラクターがクールでかっこよくてね。まあモテるんですわ。事件が起これば高確率で彼に関わった女性キャラがぽわわんとなってしまう。でもこの主人公はハードボイルドなんでワッフルしないんですよ。
さて、僕がオッサンラノベとして楽しんでいるライトノベル魔法科高校の劣等生という作品があってですね、上記のハードボイルド論(!)からも分かるように魔法科高校の劣等生の優れたオッサンラノベ性、それは主人公と女性キャラクターたちの関係性なのである。一つの楽しみ方としてのハードボイルド。
ハードボイルド小説は基本的にはオッサンが好むものであり、そしてハードボイルドのとても大事な構成要素の一つに「ぼくのかんがえた、女性へのかっこいい接し方」というものがある。それはたいていの場合、一種の禁欲状態において表現されるのです。だから様々なエクスキューズが用意されねばならない。年の差とかね。男の美学(笑)全般とかね。あるいは「そういう設定」とかね。そう、もうお分かりだろう。魔法科高校の劣等生はまさしくその禁欲状態(に似た状態)を通常モードで生きることになっているという設定の高校生男子が主人公なのだ。
ライトノベルとハードボイルドというのは相性が悪い。なぜってみんな童貞だから。作者も読者も、もう女の子とワッフルしたくてたまらないんですよ。(偏見) でもさ、本当は童貞とかどうかなんて関係なく世の中の男ってのはスマートに振舞ってみたい欲望を持ってるもんなんですよ。(偏見) でも高校生でそれをやるにはかなりの困難が伴う。(緋弾のアリアなどのおもしろ設定を想起せよ) その振る舞いにしくじればキョンになるしかないのである。でも魔法科高校生の劣等生はそこんとこだいじょーV。世界設定レベルで保障がされている。主人公にとっては妹以外(妹すら?)の女性がどれだけラブラブ光線を発しようとも全て無意味なのである。ああ、なんてハードボイルド。そんじょそこらのハーレムラノベとは一線を画しているね。(2ちゃんねるでそういうことを言っている人を見ました)
恋愛感情ではないにしろ尊敬されたりするって気持ちいいよね。それが年若く麗しいならさらにいいよね。高校生設定でダーカーザンブラックするラノベとしては良く出来てる。読み心地としてはラノベとハードボイルドの境界線上にある作品だ。その「ブレのなさ」において評価することも出来るかもしれない。

でもこの一見ハーレム構造をオトナっぽく処理していて超克しているかに思えるハードボイリッシュにも欠点があって、何かというと人間関係のアドバンテージがエクスキューズを用意する側に偏ってしまうことなのではないかと思うわけですわ。物語の中で「ブレない」ってどういうことなんだろうと。兄と妹のイチャラブで世界設定を味方につけている側の方はいいですよ? でもエクスキューズを用意される側にとっちゃこいつはたまったもんじゃないですよ。これは僕のようなカプ厨目線で読む人間だけの問題じゃない。俺TUEEEEとか高CQとかって言われる作品はそこの部分で権力関係を思い切り捻じ曲げているから退廃的なものとして扱われて、でも退廃的なものって気持ちいいから、まあちょっと脱線か。えーと、一長一短というか、色んなタイプの人間にちやほやされたり一目おかれたりという欲望を満たしつつ硬派ぶれるという構造には一応なっているんだけどその用意したエクスキューズのせいでそれぞれのキャラクターの仕掛ける人間関係へのアクションがその部分にばかり回収されてしまってちょっと居心地の悪いことになる。だからぶっちゃけると、作者が用意したエクスキューズがなくてもこれと全く同じ話は可能なんですよ。たいていの読者はそこに騙されてると思う。主人公の「妹の事しか眼に入らない」よって外野がいくら騒いでもこれはハーレムものではないという部分と「なぜ妹の事しか眼に入ってないのか」という部分は作者の良心というか抵抗というか、もしかしたら趣味と欲望の正当化であるかもしれないwエクスキューズはそれが機能していようがいまいが他のキャラクターにはそんなの関係ないんですよ。

まあなんでこういうエントリを書いてるのかと言うと昨日魔法科高校の劣等性のユーストを巡回作業しながら聞いてたんですわ。そのユースト自体は基本的に雑談みたいな感じのゆるゆりな感じだったので首を傾げたり頷いたりしながら聞いてたんですが、その中で主人公のキャラクター性について「ローティーンくらいの女の子の初恋の相手としてすごく都合がいいキャラ」みたいな語られ方から「女子目線でも割りと受け入れられやすい」とかそういう流れだったかな? 個人的には作品を語るときに「こういう層のこういう読まれ方」みたいな思考はほとんど働かないのですが、これはたぶん僕が上で言ってるようなことの違う言い方ではないかと思ったわけです。まあ、単純化すればハーレクインとハードボイルドですな。

何が言いたくてこのエントリを書き始めたのだったか……。たぶん構造の話をしたいと思ったはずなんだけども。一般的なハードボイルド作品では主人公の矜持とかただのやせ我慢で処理している「若い女から言い寄られても手は出さないかっこいい俺」そういう俺だからこそ若い女も俺に言い寄ってくるみたいなループ構造の話だっけ?(違 こういう息抜きも必要だ。

作者がこの作品をハードボイルドっぽく書くために用意したのは「感情の共有の不可能性」みたいな設定で、砕けて言うと「妹以外の人間のことを大事に思ったりすることが不可能」という設定。(ちなみに他のスーパーマン設定はただのドリームなのでどうでもいいです。時がくればいずれ貶すがな(オイ ) 
これってハーレクインとハードボイルドとして裏返しに見れば女性キャラクターたちの可能性を拒絶しているように思えるんですよ。個人的にはそういうねじれが興味深いのです。「お前らは俺のすごさを崇めろ、でも一線を越えたお前の感情に対しては責任は取らないよ、だってそういう設定だから」という構造になってるんですよ。もちろんそれを露悪的に描いているわけではないのですけどね。なんかすごいなあって思ってw 
「いいじゃん、何が悪いの?」
「いや、何も悪くないよ」
なんてことをウェブ版のメモ書きの時に書いた記憶があるんだけど、読者のみんなはどうでしょうか。というわけでオッサンラノベの最先端、『魔法科高校の劣等生』オススメですっ(宇多丸シネマハスラーの〆っぽく)

魔法科高校の劣等生〈2〉入学編(下) (電撃文庫)

魔法科高校の劣等生〈2〉入学編(下) (電撃文庫)